撮影:佐々木育弥

2年前に閉校になった中学校の試験活用が始まる

私の仕事場の窓からいつも見えるのが旧美流渡(みると)中学校の校舎とグラウンド。過疎化によって2年前に閉校。中学校の裏手には同時期に閉校になった小学校もあり、こちらには息子が2年間通っていた。

小中学校は一緒に運動会をしたり、PTAでの交流もあったりと、私にとってはどちらもなじみ深い場所。そして、ふたつある校舎のうちの中学校については、今年から試験活用が行われることとなった。

学校として使われていた10年ほど前に大規模な改修が行われていて、校舎はとてもきれい。(撮影:佐々木育弥)

学校として使われていた10年ほど前に大規模な改修が行われていて、校舎はとてもきれい。(撮影:佐々木育弥)

閉校については、以前の連載でも書いたとおり、地域の灯がひとつ、またひとつと消えていく寂しさを感じさせるものではあったが、同時に私は始まりでもあると捉えたいと思った。

子どもの人数が減っていけば、学校という形態を維持するのは難しい。それであれば、地域の現状に即した活動内容へと変化させていくことで、また新しい風が起こるんじゃないだろうか。何よりわが子の思い出も詰まったこの場所が、だんだん荒んでいくようなことになるのは避けたい。

そんな思いから、私が代表を務めている地域PRプロジェクト〈みる・とーぶ〉が中心となって、市内にある北海道教育大学岩見沢校と連携しながら、一昨年、昨年と学生さんや市民のみなさんと、校舎活用やまちづくりに関するディスカッションの場を設けてきた。

北海道教育大学岩見沢校の学生たちが考えた美流渡中学校の3年後の未来予想図。

北海道教育大学岩見沢校の学生たちが考えた美流渡中学校の3年後の未来予想図。

このとき、校舎の管理をしている市役所や教育委員会がどんな展望を考えているのかは、はっきりとはわからなかったが、市民側からのアクションを続けていくことは大切なんじゃないかと考えていた。しかし、新型コロナウイルスの感染が拡大していき、校舎活用のディスカッションも一時中断せざるを得なくなり、1年ほどこの活動が止まったままとなってしまった。

そんなあるとき、昨年夏に東京から美流渡へ移住し、地域活動にも関わってくれている画家・MAYA MAXXさんがこんなことを話した。

「雪に覆われた真っ白なグラウンドに、ひとつだけ巨大なオブジェがあったら美しいと思う」

今年の3月ごろだったのではないかと思う。美流渡地区は10年ぶりの大雪に見舞われており、中学校のグラウンドはまだ真っ白な状態だった。誰も踏みしめていない雪の絨毯を毎日のように見ていたMAYAさんは、ここに数十メートルのポールを立て、それを芯にクマのオブジェをつくって、実際に自分でそれを眺めてみたいと思ったという。

一面の雪に覆われたグラウンド。

一面の雪に覆われたグラウンド。

このクマのオブジェというプランは奇想天外なものではあったが、私はグラウンドを借りられないかと市役所に掛け合うこととなった。

市の担当者と話しているなかで、このオブジェ制作とともに、校舎の整備や清掃活動も自分たちで行いたいと申し出た。日々、窓から校舎やグラウンドが見えており、雪解けとなってからは雑草が勢いを増していく様子を見ていて、気になってしかたがなかったからだ。

また、小中学校ともに豪雪対策から、1階の窓には雪止めの板が貼られていた。地域の住民からは、校舎が閉ざされてしまった感じがして悲しいという声が上がっていたことから、MAYAさんが窓の板に絵を描いたらどうかという話をしてくれた。

1階が雪止めの窓で塞がれた校舎。

1階が雪止めの窓で塞がれた校舎。

MAYAさんは、昨年アトリエのドアや窓に紺色の絵具で石を描き、今年は倉庫に植物の文様を描いた。美流渡がどんどん明るいムードになっているように思う。

MAYAさんは、昨年アトリエのドアや窓に紺色の絵具で石を描き、今年は倉庫に植物の文様を描いた。美流渡がどんどん明るいムードになっているように思う。

地域のみんなでまずは掃除から! 校舎をきれいにしたい

こんなブレストをしていくうちに、みる・とーぶが校舎活用の窓口になって、今年、さまざまな試験活用をしてはどうかという話が市側から持ち上がった。そして試験活用を踏まえて、今後の方向性をより具体化できたらという提案だった。

市としては校舎単体というよりも、エリア全体の中で校舎がどのような機能を果たすのかという点から、活用を考えたいということだった。岩見沢市の山あいは美流渡地区をはじめ、朝日、毛陽、万字といった、さまざまなエリアに分かれており、エリアごとに特徴を明確化させ、その後押しをしていきたいのだという。

岩見沢市の山あいのマップ。朝日、美流渡、万字は元炭鉱街。毛陽は農村地帯といったようにさまざまなエリアがある。

岩見沢市の山あいのマップ。朝日、美流渡、万字は元炭鉱街。毛陽は農村地帯といったようにさまざまなエリアがある。

例えば朝日地区は、旧万字線の駅舎が残されていることから、この周辺地域が元炭鉱街であった「歴史」を際立たせ、毛陽地区には〈ログホテル メープルロッジ〉や〈メープルアクティビティセンター〉といった各種体験ができる施設があることから「観光・体験」をより多く発信していくような場所にしていきたいのだという。

では、美流渡地区の特徴は何かと考えたときに、ここには数十年前からアーティストや工芸家などが集まってアトリエを開いたという経緯があり、ここ数年もこうした人たちが移住していることから、「アート」が地域の顔になるのではないかと市は考えていた。

つまり画家であるMAYAさんが校舎の活用に積極的に取り組んでくれることは、市の方向性とも合致していたというわけだ。そこで、これまで美流渡地区でMAYAさんのワークショップなどを企画し、校舎の未来を考えるディスカッションを行ってきたみる・とーぶが、活用のお手伝いをすることとなった。

音楽室にはピアノが残されていた。

音楽室にはピアノが残されていた。

この話が急に具体化したのは6月に入ってから。そして、この場所で何かを始める前に、私たちがまず必要だと思ったのは校舎の草刈りと掃除。緊急事態宣言が明けたら、市内の少年野球チームが、グラウンドで練習したいという要望も上がっていた。

しかし、ずっと使っていなかった校庭には雑草がかなり生えていた。そこで、地域の農家さんに相談したところ、機械でグラウンドの草を刈ってくれることになり、6月26日にみんなで整備を行うこととなった。

草の生えたグラウンド。閉校してからは、地域のソフトボールチームがときどき練習に使う程度となっていた。

草の生えたグラウンド。閉校してからは、地域のソフトボールチームがときどき練習に使う程度となっていた。

朝早くから、農家さんふたりが機械を出してくれて、グラウンドや校舎周りの草を刈ってくれた。ボランティアであったが、地域の学校への愛着を持ってくれていて、隅々まで丁寧に作業をしてくれたことに感動した。

そしてお昼過ぎからは、地域の移住者仲間や少年野球チームが来てくれて、花壇など細かなエリアの整備をしてくれた。校舎の中の清掃は、MAYAさんが隊長(!)となって掃除機がかけられた。以前に校舎は大規模改修をした経緯があって、古びた印象はまったくなく、2年間使われていなかった割にはとても状態が良いものだった。

パワーのある機械で農家さんがグラウンドの草を刈ってくれた。

パワーのある機械で農家さんがグラウンドの草を刈ってくれた。

大型機械が入りにくいフェンス側などは小型の草刈機で。

大型機械が入りにくいフェンス側などは小型の草刈機で。

草刈りや掃除という大変地味な活動ではあったが、私はとても心穏やかな気持ちになった。コロナ禍ということもあって、こうして集まる機会は減っていたので、久々にみんなの顔が見られ、子どもたちの笑い声が校舎にこだましていたことが、ただただうれしかった。

さらに試験活用をこれから行うということで、自分だったらどんな使い方ができそうなどと、校舎の未来について話せたことにも希望が持てた。

そして、万字地区に移住したアフリカ太鼓の奏者たちが、体育館を太鼓の練習に使いたいと言ってくれたり、美流渡に一昨年に移住した陶芸家であり、日本舞踊の名取をした、こむろしずかさんが、日本舞踊のワークショップを行いたいと言ってくれたり。

この地域には、個性的な移住者がたくさんいて、もともと住んでいる人たちも多彩な活動をしていることから、こうした人たちと連携していけば、きっと校舎は蘇るんじゃないかと思っている。

コロナ禍ではあるが、体育館は広いので三密にならずワークショップなどが開催できるのではいか。(撮影:佐々木育弥)

コロナ禍ではあるが、体育館は広いので三密にならずワークショップなどが開催できるのではいか。(撮影:佐々木育弥)

これからも、月1回、清掃&草刈りの活動を行っていこうと思う。また、7月3日と8月7日にはオンラインで、校舎活用に関する説明会を開く予定だ。みる・とーぶとしては、校舎をまずは元の美しい状態に戻せるように整備に励み、8月中にはMAYAさんに窓の板に絵を描く取り組みを行ってもらいたいと考えている。そして、地域のみんなが「こんなことを実現したい!」という夢が叶う場になったら……。

まだまだ手探りの状態ではあるが、いま小さな一歩を踏み出したところだ。

information

森の学校ミルトをつくろう 旧美流渡中学校・校舎再生プロジェクトオンライン説明会

日時:2021年8月7日(土)10:00〜11:00

参加無料

予約はみる・とーぶのFacebookから

writer profile

Michiko Kurushima

來嶋路子

くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。http://michikuru.com/