撮影:佐々木育弥

展覧会のフィナーレをアフリカ太鼓で飾りたい

この春から、アフリカ太鼓の練習を始めた。リズム感がまったくなく、手拍子ですらうまく合わせられない自分にとって思ってもみないことではあったけれど、ほぼ毎週、練習していて、ライブも経験させてもらった。

教えてくれるのは、私が住む美流渡(みると)地区からさらに山の方に入った万字(まんじ)地区に4年前に移住した岡林利樹さん。利樹さんは、セネガルとブルキナファソで太鼓を学んだ経験があり、移住の翌年から美流渡で太鼓教室を定期的に開催。道内各地でライブ活動も行ってきた。

コロナ禍となって、こうした活動はいったん中断を余儀なくされたが、昨年頃から一緒にアフリカで太鼓を学んだ妻の藍さんや道内各地の太鼓仲間と組んで、ライブを再開していた。昨年、10月には私が代表を務める地域団体が主催する、地域のつくり手の作品を集めた『みる・とーぶ展』で、フィナーレライブを行ってもらった。

地域で行われるイベントでたびたび演奏をしていた。利樹さん、藍さんと、ダンサーで美流渡と札幌を行き来する寺林里紗さんらが中心となっていた。

地域で行われるイベントでたびたび演奏をしていた。利樹さん、藍さんと、ダンサーで美流渡と札幌を行き来する寺林里紗さんらが中心となっていた。

これまでライブは聴く側だったのだが、昨年末に起こった大きな出来事によって気持ちが変わった。

このとき藍さんはふたり目を妊娠していた。12月に臨月を迎え、赤ちゃんは無事に生まれたものの、以前に子宮の病気を患ったこともあったからか出産時の出血がひどく、藍さんは帰らぬ人となった。

長男の杜樹(とき)君と一緒に。右が藍さん。(撮影:佐々木育弥)

長男の杜樹(とき)君と一緒に。右が藍さん。(撮影:佐々木育弥)

利樹さんと藍さんは太鼓の奏者であり、『みる・とーぶ展』では、海外でつくりかたを学んだマクラメ編みのアクセサリーも販売していて、いつも顔を合わせる仲間だった。藍さんの訃報を知った日は、展覧会に参加したメンバーが集まってランチ会をすることとなっていた。食事をするような気分ではなかったけれど、とにかくみんなで集まろうということになり、信じがたい事実を前に、取り止めもなく話をした。

利樹さんは、その後数か月間、岩見沢市内にある両親のもとで子育てをしていた。春になって長男と生まれたばかりの長女を保育園に預けることになり、万字地区に戻った。これまで利樹さんは土地を開墾して畑をつくり自給自足に近い生活をしていた。ふたりの子どもを抱えて以前のようにはいかないが、それでも自分なりの暮らしを模索しているところだった。

太陽光パネルで自家発電をし、お風呂も薪で沸かしていた。(撮影:佐々木育弥)

太陽光パネルで自家発電をし、お風呂も薪で沸かしていた。(撮影:佐々木育弥)

そんななかで、今年は年3回の開催を計画していた『みる・とーぶ展』にアクセサリーを出品してくれることになった。展覧会の準備中、利樹さんと話す機会があった。目の回るほどの忙しさなのではないかと思ったが、私は「アフリカ太鼓をみんなに教えてほしい。展覧会のフィナーレでまたライブをやってほしい」と頼んだ。フィナーレの演奏は「できるかどうかわからない」と言ってはいたが、「太鼓教室はやりたい人がいるのであれば開きたい」と前向きに考えてくれた。

利樹さんと藍さんは、アフリカだけでなく世界中を旅していた。旅の途中で手に入れた石とマクラメ編みとでアクサセリーをつくってきた。

利樹さんと藍さんは、アフリカだけでなく世界中を旅していた。旅の途中で手に入れた石とマクラメ編みとでアクサセリーをつくってきた。

たった3回の練習でフィナーレライブはできる??

こうしてみんなで校舎に集まって太鼓の練習が始まった。コロナ禍以前から練習に参加していたメンバーに、『みる・とーぶ展』に参加しているメンバーが加わり10名以上が集まった。利樹さんはアフリカからたくさんの太鼓を運んでいて、初挑戦となるメンバーはそれらを借りて演奏することになった。

利樹さんをはじめ、コロナ禍以前より参加していたメンバーが主にジャンベを担当。バンド名は〈みるとばぶ〉。アフリカで外国人のことを「トバブ」と呼ぶことから名づけられた。

利樹さんをはじめ、コロナ禍以前より参加していたメンバーが主にジャンベを担当。バンド名は〈みるとばぶ〉。アフリカで外国人のことを「トバブ」と呼ぶことから名づけられた。

太鼓は4種類。いずれも木をくり抜いて動物の皮を張ったもので、曲の中心となるのが盃のようなかたちをしたジャンベ。そしてリズムのベースをつくるのが筒状の太鼓。1番大きいものがドゥンドゥン。中くらいのものがサンバン。小さいものがケンケニ。この3つの太鼓の上部にはベルをつけ、右利きなら左手でベルを右手で太鼓をたたく。このアンサンブルは、西アフリカの伝統的なものだという。これまで利樹さんがジャンベをたたき、藍さんがベースとなる太鼓を担当して、ふたりでリズムをつくりあげていた。

筒状の太鼓でサンバン。

筒状の太鼓でサンバン。

この日、練習することになったのは「バラクランジャン」という、子宝を授かるようにと願って演奏される曲。私は、この曲で1番単純な叩きかたとなるケンケニをやってみた。最初はベルと太鼓の両方を叩き、次にベルだけを叩く。とても簡単な動きだが、ほかの太鼓のリズムにつられてしまったり、曲が盛り上がってくるにつれテンポが速くなってついていけなくなったり。10分以上曲が続くこともあって(どこで終わるかは、その場に合わせて変幻自在)、腕が動かなくなってしまうことも。

大太鼓のドゥンドゥン。(撮影:佐々木育弥)

大太鼓のドゥンドゥン。(撮影:佐々木育弥)

これは難しい……と思ったが、フィナーレは2週間後に迫っていたため、ぐずぐず言ってもいられない。以前から練習していたジャンベのメンバーのみなさんに助けられながら、3回の練習でなんとか自分のパートはできるようになっていった。

「フィナーレやるならもう1曲覚えようよ!」

最初はフィナーレができるかどうか不安そうだった利樹さんだが、笑顔でそう提案してくれたことがあった。ただ……、そのときの私たちは1曲覚えるのが精一杯だったため、新曲はまた後日ということになったけれど、利樹さんの表情がだんだんと明るくなっていったことに安堵した。

練習のときもライブのときも、杜樹君はいつもおんぶされている。(撮影:佐々木育弥)

練習のときもライブのときも、杜樹君はいつもおんぶされている。(撮影:佐々木育弥)

練習のあとは、校舎の家庭科室で簡単な晩ごはんをつくった。校舎で展覧会の準備をし、その後太鼓の練習をして、食事をともにすると、体はすごく疲れているのだが、1日がとても満ち足りた気分になった。

体育館に響き渡った太鼓の音色

展覧会のフィナーレとなった5月8日。昼間にリハーサルを行って、夕方いよいよ本番となった。

「バラクランジャン 子どもは なによりも 大事な大事な宝物だよ どんなにたくさんの贈りものも 子どもひとりにはかなわないさ」

バラクランジャンには、アフリカの言葉の歌詞がある。練習のときに利樹さんは太鼓を叩きながらそれを歌っていたのだが、本番の最初に、日本語に訳した歌詞で歌ってくれた。

本番で初めて日本語の歌詞を聴いて、演奏中、それが頭から離れなかった。おそらく演奏をしていたみんなが、藍さんのことを思い出したはずだ。藍さんは亡くなってしまったけれど、その命がつながって玉のようなかわいい赤ちゃんがここにいる。

利樹さんによると、5年前に藍さんは子宮体がんと医師から宣告され、子宮を摘出するよう言われたという。藍さんは、子どもが産めなくなる治療を拒否。それ以外の治療を試み、約半年でがんを克服したのだそうだ。

生と死は隣り合わせにうごめいていて、私たちはこうしてここにいるということが、太鼓の音色とともに体に染み込んでいくような感覚があった。

利樹さんと長女の珠利(しゅり)ちゃん。(撮影:佐々木育弥)

利樹さんと長女の珠利(しゅり)ちゃん。(撮影:佐々木育弥)

春のフィナーレライブのあと、毎週土曜日に練習を続けた。レパートリーが増え「ジョレ」というお祭りに演奏する曲を練習した。そして、私たちの太鼓熱が高まるのと呼応するかのように、7月の『みる・とーぶ展』では、海外アーティストのライブも決まった。

ひとつは利樹さんの太鼓仲間が、ギニア出身の太鼓奏者・ソロケイタさんの北海道ツアーをオーガナイズしていて、美流渡もツアーの拠点のひとつに加えてくれた。もうひとつは、太鼓の練習に以前から通っていた市内在住のメンバーが間をつないでくれて、アンデス民族音楽を演奏する〈ワイラジャパン〉も訪ねてくれた。

ソロケイタさん(左)と、東北を中心にライブ活動を行っている堀米輝樹さんらが美流渡で演奏してくれた。

ソロケイタさん(左)と、東北を中心にライブ活動を行っている堀米輝樹さんらが美流渡で演奏してくれた。

ライブの日、ソロケイタさんの太鼓ワークショップも開催。20名以上が音を合わせた。

ライブの日、ソロケイタさんの太鼓ワークショップも開催。20名以上が音を合わせた。

さらには、これまで上美流渡地区にある施設で毎年開催してきた『美流渡の森の音楽会』が校舎に場所を移して実施された。ピアノや声楽、バイオリンなど、主にクラシックの演奏を楽しむ愛好家たち19組が岩見沢市や近隣の地域から集まって、日頃の練習の成果を発表する場となった。『みる・とーぶ展』は、アートやクラフト、飲食がメインのイベントだったが、音楽イベントも多数行われるようになったというのは、予想もしない展開だった。

7月の展覧会のフィナーレライブを終えて、またみんなで夕食を食べた。私はここでも深い充足感を味わった。これまでいくつかの展覧会に関わってきたけれど、それとはまったく違う感覚だった。

展覧会の最終日はとても静か。時間が来ればドアを閉め、そそくさと片づけ始めていて、終わった余韻を十分に味わうことはなかった。太鼓を思いっきり演奏していると、自分の音とみんなの音がひとつになって、会場に大きなうねりを起こすような感覚になる。そんなとき準備から終了までいろいろたいへんだったけど、楽しかったねという実感が湧いてくるのだ。

画家のMAYA MAXXさんも太鼓メンバー。アフリカ象の絵を描いてもらって、メンバーTシャツもつくった。

画家のMAYA MAXXさんも太鼓メンバー。アフリカ象の絵を描いてもらって、メンバーTシャツもつくった。

太鼓の演奏中、傍にはメンバーの子どもたちが思い思いに遊んでいる。利樹さんと藍さんの間に生まれた長男は、利樹さんにおんぶされていつもすやすやと眠っている。生まれた赤ちゃんは、世話好きの我が家の長女がいつも抱っこしている。そして子どもたちはライブ会場となっている体育館で、展覧会期間中ずっと遊んでいて、まるで全員がきょうだいのように育っている。

栗山町にあるお寺のお祭りでアフリカ太鼓を披露。

栗山町にあるお寺のお祭りでアフリカ太鼓を披露。

現在、秋の『みる・とーぶ展』に向けて、3曲目となる「ヤンカディ」を練習中だ。これまで比較的シンプルだった私のパートも、かなり複雑になって頭の中がクラクラしてくるが、なんとかついていきたいと思っている。

最初は、利樹さんがいつでもライブができるように、バックバンドとして応援できたらという思いで始めたが、みんなで演奏することは、そこにとどまらない喜びや楽しさがあった。そして、これまで展覧会では作品のクオリティを上げることに心血を注いできたけれど、太鼓を叩いたり、ごはんを食べたり、子どもたちが遊んだりという、みんなが心を合わせられる場をつくっていくことが、何より大切なんだと思うようになった。太鼓の世界の扉を開いてくれた利樹さんと藍さんに心から感謝したい。

information

みる・とーぶ展

会期:2022年9月10日(土)〜25日(日)

会場:旧美流渡中学校(北海道岩見沢市栗沢町美流渡栄町58)

Web:Facebook

*岡林利樹さんによるアフリカ太鼓ワークショップ:9月11日13:00〜15:00

*〈みるとばぶ〉フィナーレライブ:9月25日 15:30〜16:00

writer profile

Michiko Kurushima

來嶋路子

くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。http://michikuru.com/