さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。第28回は、パピエラボ代表の江藤公昭さんによる那須の山奥にある旅館〈板室温泉 大黒屋〉を訪れた話。当初の目的は現代美術家・菅木志雄の作品の鑑賞でしたが、通ううちに、違う魅力や「収穫」もあったようです。

かつて旅とは仕事であった

国内で旅した履歴を思い返せる限り思い返してみると、自ら国内旅行のプランを立てたことがほとんどない。ひとりでの地方出張は可能なら日帰りにするし、出かけたところで目的以外にまちをぶらぶらすることもほぼない。

写真を見返してみても、旅先の記録はほとんどなく、かろうじて撮っているものといえば仕事の素材になりそうなものばかりで、食べ物もまちの様子もきれいな景色も写っていない。

仕事を始めてから特に20代の頃は、「出かける=店のための仕入れをする」というのが常だったこともあり、何も収穫なく帰ることに対して罪悪感を感じていたのを引きずっているのか、見たいものや欲しいものがそこにあって、それを見聞きしたり手に入れたり、何かしらの収穫を得られるという確信がない限り、重い腰はなかなか上がらない。

とはいえ、気心知れた人と会ったり、車窓の景色の変化を眺めたり、おいしいお酒や食を味わったり、日常ではない環境で過ごしたりするのは楽しいという感覚はある。それが遠方であれば「旅」なんだとしたら、旅が嫌いなわけではなく、むしろ旅をしたいのだと思う。収穫を得なければという強迫観念みたいなものが足かせになってきた。

ところが、期待しなかった収穫を得てばかりの旅先がある。那須の山の中にある温泉旅館、〈板室温泉 大黒屋〉だ。これまでに3度泊まった。最初は数年前、現代美術家の菅 木志雄さんの作品が館内に飾られているというのを聞いて、そんなに尖がった旅館が那須にあるのかという物珍しさで行ってみることにした。

館内の菅 木志雄作品。

館内の菅 木志雄作品。

自然なかたちでアートに触れられる場所

世界的な美術家の作品が物々しく展示されているのを想像していたが、到着して部屋に向かう廊下の至るところに、意外にラフに飾られていた。その敷居の低さに驚きながらも、これみよがしでなく自然なかたちでアートに触れさせてくれることに好感をもった。

この旅館にはさらにギャラリースペースがあって月替りで展示が企画されている。このときは知らない陶芸家の展示だったのだけど、並んでいるものがどれもすごくいい。黒田泰三さんにも師事した安齊賢太さんという方の展示だった。見たことない質感をした黒い器で、形も好み。正直、こんなに気に入るものがあるとは期待もしていなかっただけに、余計に気分が高揚して、片口とお猪口を衝動買いした。

アート作品の鑑賞を目的に出かけた旅館で物欲が満たされるとは思ってもいなかった。窓の向こうに山を望みながら、食事とお酒を堪能して、温泉に入って、さらには物欲まで満たされて、思いがけない収穫だった。

2度目は友人と近くの山に登った後に泊まることになった。2度目となると不思議と見える景色も変わり、特に庭が気になった。大黒屋から徒歩3分ほどのところに、(当時の)代表が保管する菅 木志雄さんの作品を見ることができる私設美術館があり、代表が案内してくれるツアーに参加すると、旅館の庭も菅さんの作品なのだと教えられた。

菅 木志雄の庭「集空庭」。

菅 木志雄の庭「集空庭」。

菅 木志雄の庭「天の点景」

菅 木志雄の庭「天の点景」。

空海が説いた万物の構成要素である「六大」の「地 ・ 水 ・ 火 ・ 風 ・ 空 ・ 識」が菅さんの解釈で表現されているのだと説明を聞いて、とりあえずこの庭は宇宙なのだと、やんわり理解した。

菅さんという人は一元論に基づく芸術家なのだという代表の持論も聞き、空海の六大についても一元論についても僕の頭では理解が追いつかなかったものの、なんだか得体のしれない奥深さを感じた。

隣接する菅木志雄倉庫美術館。

隣接する菅木志雄倉庫美術館。

やや混乱したままに、例のギャラリースペースでふたりの陶芸家の作品展を見た。ずらりと並ぶ器を見ているうちに混乱が解消されて、それと同時に物欲スイッチが入り、あれやこれやと欲しくなってくる。さっきまであの庭=宇宙の中にいてその壮大さと己れの小ささを感じていたはずなのに、欲を滅すことはできないものだ。

いくつものお猪口を手にして「これらをください」と言っていた。宗教や哲学を学んだという代表のツアーのおかげで、最初に訪ねたときと比べて一段と充実した心地で、あぁここにはまた来るな、と思った。

3度目の大黒屋

そして先日、3度目の宿泊のチャンス。大黒屋では毎月26日に「音をたのしむ会」という催しがあり、宿泊者は自由に参加できる。この日は、友人でもある作曲家の阿部海太郎さんの演奏会ということで、それを目的に出かけた。

実はこのところ、家にある物の多さとそれと比例する散在ぶりを反省して、物を買うのを節制しようと意識しているので、ギャラリーでの買い物は控えようと決めていた。

ギャラリーの展示企画は「壺展」だった。事前の決心も虚しく、到着して早々、抑えるはずだった物欲が溢れた。まったくもって見たことのないタイプの壺があった。惹かれるタイプの壺が数々あるなかで、「これは何だ、わからない……」と、これだけは選ばないと思っていたのが、ギャラリー内をうろうろしているとそれがどうしてもチラチラと目に止まる。気になる……。

月替りで展示が企画されているギャラリースペース。

月替りで展示が企画されているギャラリースペース。

この春に代替わりしたばかりの17代目であり、この展示の企画者でもある室井康希さんに尋ねると、ロンドンを拠点にしている日本人の作家のもので、日本で展示するのはほぼ初めてだという。

ちなみに室井さんは大黒屋を継ぐ前はアートを学んでいた。この展示をするにあたり、この作家の作品をどうしても入れたいと思ってなんとか輸入したという。

スイッチが入った。久しぶりに感じる高揚感でうれしさすら湧いてきて、「これをください」と言っていた。大収穫。ギャラリーの横にあるショップには、世界で有数の竹籠コレクターである斎藤正光さんから預かっているという竹籠があり、妻はそこに並んでいたひとつを手に取って目を輝かせていた。翌朝、室井さんに「これをください」と言っていた。もうひとつ、収穫。

宇宙である庭の向こうに流れる川で釣りができると知って、勇んで竹竿を抱えると、今は先代となった16代目に「魚と川の流れと自分の関係性をひとつにしないと釣れないですよ。一元論ですよ」と言われた。

透明に澄み渡る川でまったく釣られる気配のない魚に向けて竹竿を垂らしながら、魚とも川の流れともまだ一体になれない己れを思い知った。収穫なしのバケツを手にした僕に先代は言った。

「獲ってやるぞ、なんて思っちゃダメですよ。それじゃ一体になれないですよ」

壺と竹籠を手にして大黒屋を後にしながら、次回の収穫を期待した。

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Kimiaki Eto 江藤公昭

パピエラボ代表。2007年に紙と紙にまつわるプロダクトを扱うショップ、〈PAPIER LABO.〉を立ち上げる。店頭では、活版印刷を中心とした印刷物やデザインのオーダー窓口を設け、名刺や招待状などの製作をおこなう。ほかに、ロゴやパッケージ、出版物、Web、プロダクトなどのデザインも手がける。

Web:PAPIER LABO.

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