田んぼを引っ越しして、初めての稲刈りの時期を迎えた津留崎さん一家。
「自分たちだけでは、米はつくれない」地域の方や友人、そして恵まれた環境があってこその米づくりだとあらためて感じたようです。
前回、田植えをしてから稲がどのように育っていくのか? ということで夏までの稲の成長の様子をお伝えしました。
地域の人、子どもたち、友人たちと共に5月末に行った田植え。
植えたばかりの苗はヒョロヒョロで頼りなさげです。
夏の日を浴びて、ぐんぐん育つ稲。
鹿に入られて稲を食べられたトラブルについて書きましたが、その後もわが家の田んぼは少なからずのトラブルが訪れます。だいぶ稲穂も色づいてきて、稲刈り予定日まであと10日という頃にやってきた台風で広範囲の稲が倒れてしまったのです。
倒れた部分がミステリーサークルのように……。
台風明けに恐る恐る行った田んぼでこの光景を目の当たりしたときには、わが目を疑いました。これまでも一部分の稲が倒れてしまったことはありましたが、ここまで倒れたのは初めてのこと。
調べたり聞いたりしたところ、うまく対処すればちゃんと収穫できるそうです。ただ、倒れたままで穂が水に浸かってしまうと発芽してしまい、収穫できなくなってしまうので注意が必要だとか。どうやって水に浸かるのを防ぐのか?
そんなこんなを呆然とした表情でスマートフォンで調べていると、隣の田んぼの方が、数束を一緒に束ねて起こしてあげるといいんだよ、とやり方を教えてくれました。束ねるのは稲わらで、と自分の田んぼで出た稲わらを提供してくれもしたのです。
立派に育ってくれただけに、持ち上げるのもひと苦労……。こんな感じで数束を稲わらで束ねて、水に浸かってしまうのを防ぎました。ネット検索ではなかなかたどり着けなかった対処方法。本当にありがたいです。来年は台風に負けない稲をつくりたい!
あとはひたすら束ねるだけ! ということで、休日返上で家族で束ねまくりました。最初はかなり手こずっていたのですが、途中からだいぶコツを掴んできて……。
倒れてしまった稲をほぼ束ね終えました。(写真ではあまり違いがわかりませんね)これなら倒れたトコも収穫できそうだと、ホッとしました。
そこでもうひとつ、稲刈りの前に段取りしなければいけない大きな「壁」が、竹の用意です。稲刈りで竹? 一般的に流通している米は、稲刈りを終えると機械で乾燥させるのですが、わが家では収穫した稲を竹で組んだ稲架(はさ)に引っかけて2週間ほど天日にさらして乾燥させています。稲架かけとか天日干しって聞いたことあるし、あの田んぼに稲が干してある風景、見たコトあるという方は多いかと思いますが、天日干しは本当に手間がかかるし、風で倒れたり獣や鳥に食べられたりというリスクがあるのです。
では、なぜ天日干しにこだわるのか? というと、せっかく自分たちの食べる米を自分たちでつくるのならできる限り手作業にこだわりたいですし、天日干しのほうが旨みが増す(気持ちの問題でしょう? と思われるかもしれませんが、実証した論文もあるのです)といったこともあり、天日干しで米づくりをしてきました。
こちらは昨年まで借りていた田んぼでの稲架かけをする様子。この列島の原風景ともいえるこの景色を遺していきたい、そんな思いも少なからずはあります。効率を重視するナリワイとしての米づくりではなかなかできない方法です。
そして、その天日干しには竹が必要なのです。なかには木材や鉄パイプでやっている方もいますが、手に入りやすさと加工のしやすさから竹でやっている方が多く、自分もそうしています。昨年も竹で稲架を組んで天日干しをしました。田んぼの面積はそんなに変わらないので本来であれば追加で竹を用意する必要はないのですが、田んぼを引っ越したということもあり、傷んでいる竹の多くを以前の田んぼで燃やしてしまったのです。
これまでの田んぼでは、水路の上部に骨組みをつくって保管していました。水路の上ということもあって、湿気が多く、多くの竹が傷んでいました。竹にしても藁にしても、燃やせば灰になり、それが土の栄養になる。こうした「循環」って本当にすばらしいと感じます。
状態の良い竹を少しだけは運んではいたのですが、とても足りなそうです。米づくり1年目のときは大量に竹が必要だったので、何日間か竹林に通って竹を伐採して、田んぼに運びました。その作業、かなりハードだった記憶があります……。
米づくり1年目に伐採した竹。天日干しで米づくり始めたい! という方、この作業は想像以上に手間がかかりますので覚悟のほどを!
また、アレをやらなきゃいけないのか……と頭の片隅にありながらも、日々の忙しさもあってなかなか実行できずにいました。そうこうしているうちに稲刈りの日程がせまってきます。ああああ、竹伐りしなきゃ……でも、時間がない……と、焦っていたそのとき、田んぼのご近所さんから、「ウチに前に使ってた竹がたくさん残ってるからあげるよ。使いな〜」というなんともうれしすぎる申し出があったのです。厚かましくもどんな竹か見に行かせていただくと、とても保管状態もよくて、状態のよい竹が沢山ありました。
ご近所の方の家の裏の竹保管場。ここには沢と田んぼがあって、竹林があって、畑があって、果樹が植わっていて。これぞ里山での暮らし、という感じです。
ええええ? これ全部いいんですか? と、確認すると、もう使わないからどうぞどうぞ、と。おまけに収穫した米の保存缶もいただくことに(ありがたすぎます、本当に)。おかげさまで、頭も片隅のもやもやもすっかり取れて、無事に稲刈りの日を迎えることができました。
稲刈り前日の稲の様子。肥料を使っていないのですが、山から流れてくる栄養たっぷりの水のおかげでたくさん実ってくれました。
さてさて、やって来ました稲刈り当日。
今年、集まったのは娘の同級生やそのお母さんたち、友人たち、そして、田植えのときにも何人か来てくれていたのですが、春から自分が運営に携わっているLivingAnywhere Commons伊豆下田の滞在者さん。そして、うれしいことに田んぼのご近所さんも参加してくれました。はじめての方もいるので稲刈りのコツや縛り方、段取りなどを説明して、稲刈り始め!
わが家の娘は移住した翌年小1のときから米づくりを始めたので、小5にして5回目の稲刈りです。
うれしいことなのですが今年はしっかりと育ってくれていて、例年よりも稲の束が太い。しかしその太さが仇となり、なかなか進みません。
おまけに、毎年手伝いに来てくれている男友だちがことごとく都合がつかず、自分以外は成人男性がいないこともあり、竹を組むという力仕事の担い手が少なく、自分が稲を刈っては竹を組んで、をやっており、いつもよりも遅めのペースで作業が進んでいきました。
稲刈りというと刈る作業がメインに思われるかもしれませんが、刈った稲を縛る、稲架を組む、稲架に稲をかける、という作業、それぞれに手間がかかるのです。
刈って、縛って、稲架を組むスペースができたらそこに稲架を組みます。
そんなこともあり、昼前になっても想定の半分くらいしか進んでいません。例年と人数的には変わらないのですが、男手があるとないとでこんなに違うのかと、あらためて感じていました。
これは今日中に全部刈るのはとても無理そうだ、いつどうやって残った稲を刈るか? 段取りしなきゃだな……と考えはじめた頃に、「バインダー(稲刈りの機械)を持ってきてやるから下の段は機械で刈って、機械乾燥に出すしかないんじゃないか?」と、昼食に出す羽釜ご飯を炊きに来てくれていた、いつもお世話になっている米づくりの先輩が状況を見て提案してくれたのです。
わが家の田んぼは2段になっていて、上の段から手刈りを始めていました。確かにこの進み具合では、下の段までたどり着かなそうです。天日干しにこだわりすぎて終わらなくなってしまってもしょうがない。そう判断し、お願いすることにしました(本当にありがたいです)。
羽釜で米を炊くのを手伝う小学生。良い経験です!
薪で炊いた羽釜のごはん、食べたことありますか? 最高ですよ〜。田んぼで食べるとさらにウマい!
お楽しみの昼ごはんを終えて、再開〜
昼で帰る人もいるので再開前に記念写真! みなさん、ありがとうございます〜。
再開! 子どもも、それぞれができることをやります。こうして子どもたちと作業できるのも、手作業での米づくりのいいところです。
下の段は急遽持ってきていただいたバインダーで刈ってもらいました。やっぱり機械は速い!
夕方近くまでかかり、上の段の手刈りもやっとここまで。台風で倒れて結んだ稲を刈るのにも、想定以上に手間がかかりました。
ということで、結果、上段も稲刈りと稲架かけまで終了!男手なしでもどうにかなるだろうという甘い読みをしていた自分を猛省しました。例年通り、昼過ぎくらいまで終わるイメージで来てくれていた友人たちのなかには、「これ、終わらないよね? このままじゃ帰れないから、もう少しつき合うよ!」と、夕方まで手伝ってくれた方も沢山いて本当にありがたかったです(感謝してもしきれません!)。
バインダーで稲刈りした下の段。機械ってすごい! とあらためてそのありがたさを実感してしまいます。下の段は、この翌日に脱穀して機械乾燥に出しました。
さあさあ、天日干し開始です!
なかなかスカッと晴れてくれなくて乾燥具合に不安は残りましたが、天気予報とにらめっこしながら、これ以上やっても仕方がないと、想定通り2週間で脱穀をしました。脱穀とは、稲にくっついている籾を外す作業のことです。もちろん、昔はこの作業も手作業で行っていたのですが、これは毎年、機械に頼っています。こだわる人はこれも人力でやっています。自分にはそこまでできない……。
脱穀をするのはハーベスタという機械です。ちなみに米づくりをナリワイにする農家さんは、稲刈りをするバインダーと脱穀をするハーベスタが一体となった「コンバイン」という大型の機械で一気に脱穀まで終わらせます。
ハーベスタを使うといってもそれなりの作業量があるので、稲刈りグループのチャットにもし来れたら、と呼びかけたり、友人を誘ったりして、またもや集まっていただきました。脱穀作業は例年通り、想定していた2、3時間で完了!
みなさん、ありがとうございます〜! 脱穀をすると大量に藁が出ます。藁は正月飾りに使いたい、畑で使いたいという地域の方や友人にお分けして、来年の稲をしばる分をとっておいて、あとは刻んで田んぼに還しました。刻むことですぐに土になってくれて、そして、土の栄養になります。すばらしき「循環」ですね。
今年の米づくりも、新たに借りた稲梓の田んぼの周辺の方たちや友人たち、さらにはLACの滞在者さんたちまでの多大なる協力なくしてはできませんでした。
特に、今年、新たに借りたというのに周辺の方たちがここまで良くしてくれたというのは、この田んぼを紹介してくれた友人がこの地域で培ってきた信頼があってこそと、すべての作業が終わった今、この春からの米づくりを振り返って感じています。
この田んぼを紹介してくれた友人、井野智充さんは、田んぼのすぐ近くで歴史のある温泉宿「千代田屋旅館」を家族で営んでいることもあり、地域の人に顔が広く、とても信頼されています。田植え前の田起こし、代掻きといった作業ではトラクターを出してくれて、稲刈りや脱穀も何かと手伝ってくれて……。わが家の田んぼは井野さんなしでは成り立たちませんでした。
「自分たちの食べる米を自分たちでつくれるようになりたい」
そんな思いから始めた米づくり。今年あらためて痛感したのは、「自分たちだけでは米は到底つくれない」ということでした。これまで書いてきたように地域の方や友人たちの協力なくしてはできませんでしたし、さらには田んぼに流れ込む水路はこの地で米づくりを始めた先人たちが築いたわけですし、水路をきれいに保つのも地域の方々の協力がなくては成り立ちません。
そもそも、流れ込む山からの栄養たっぷりの水があってこその田んぼともいえます。そんなことを痛感した5年目の米づくりでした。
そして天日干しの稲を脱穀して籾となり、籾を籾摺りして玄米、玄米を精米して、おなじみの「白米」になります。
写真は精米の様子です。籾摺り、精米も機械に頼っていますが、これも昔は手作業だったのですね。本当に便利な世の中になりました。
今、地域のみなさまやお手伝いしていただいた方に、収穫した米をお分けしています。協力や手間に対しての対価を収穫した米で返す。いつの時代なのか?という時代錯誤の返し方ですが、こんなやり取りがまた、楽しかったりもします。
みなさまのおかげで本当においしくできました! 炊き立てのご飯はそれだけでご馳走ですね。
文 津留崎鎮生
text & photograph
Shizuo Tsurusaki
津留崎鎮生
つるさき・しずお●1974年東京生まれ東京育ち。大学で建築を学ぶ。その後、建築家の弟子、自営業でのカフェバー経営、リノベーション業界で数社と職を転々としながらも、地方に住む人々の暮らしに触れるにつれ「移住しなければ!」と思うように。移住先探しの旅を経て2017年4月に伊豆下田に移住。この地で見つけたいくつかの仕事をしつつ、家や庭をいじりながら暮らしてます。Facebook Instagram