海人さんから学んだ、生き方と食の原点

かつて九州の天草諸島で撮影して以来、海人さんの存在に強く惹かれていた津留崎徹花さん。下田に移住してからも、積極的に海人さんを撮影し続け、とうとう東京で写真展を開催することになりました。徹花さんが感じた、自然と寄り添う海人さんの生き方や考え方、そして食の原点を、写真を通して改めて考える機会になりそうです。

下田の海人さんたちの写真を東京で展示します

この連載でも何度かお伝えしていますが、下田に移住してから海で漁をする海人(あま)さんたちを撮影し続けています。(海人とは、 海に潜って貝類や海藻をとることを仕事とする人で、男を「海士」、女を「海女」と書くそうです)

そうした写真の発表の場として、2019年に下田の飲食店の一角をお借りして写真展を開催しました。それから4年が経ち、撮影した写真もさらに増えています。そこで、撮りためた写真を携えて2023年3月に東京で個展を行うことになりました。

津留崎徹花さん写真展『海と、人と』のチラシ

今回の写真展では「下田、海と山の幸de 食堂」と題して、食堂を併設します。

手作り中の展示パネル

今回展示する大パネル。夫がパネルを作成してくれて、私が写真を貼っていくというすべて手づくりのパネル。日々コツコツ作業しています。

そもそもなぜ海人さんの写真を撮影するようになったかというと、2015年に娘とふたりで旅をした九州の天草諸島がきっかけでした。宿泊した旅館でいただいたヒジキがあまりにもおいしくて感動。女将さんに話をうかがってみると、地元の漁師さんが目の前の海でとってきたもので、翌日も漁にでるという。そこで、急遽漁に同行させてもらったのです。

翌朝、漁師さんの船に乗せてもらい陸から少し離れた沖の岩場へ。

その岩場からびっしりとひじきが生えていて、バッサバッサと鎌で刈っていく漁師さん。スーパーで購入する黒いひじきとはまったく異なり、きれいな緑色をした長く猛々しい草のようなもの、「これがあのひじき?」と、とても驚きました。

そして、それを苦労して収穫している漁師さんの存在も、今まではまったく想像していなかったのです。自分が今まで食べてきたものの原点、そこにはまったく知り得なかった世界が広がっていて。それが私にとってとても衝撃的であり、興奮する出来事でした。(コロカルで以前に書いていた「美味しいアルバム」という連載に記事を掲載しています)

下田で暮らして出会った海人さんたち

その後、もっと漁の撮影をしてみたい、とくに同じ働く女性でもある海女さんが漁をする姿を撮影してみたいという気持ちが強くなり、東北や三重の漁協に問い合わせました。

ところが、漁は天候に左右されるので、撮影できるかどうかは当日にならないとわからないというのです。当時、私は出版社の社員で、現地に長期滞在して待ち構えることができませんでした。そうして断念したまま放置していたことが、下田に移住してから実現したのです。

天草納屋で選別作業をする下田の海女さんたち

下田で初めてお見かけした海女さんたち。天草(てんぐさ)納屋と呼ばれる小屋で、天日干しにした天草の選別や不純物を取り除く作業をしています。

海辺の広場で天日干しされている天草

海でとってきた天草を広げて天日干しに。この光景を初めて目にしたときも、ひどく驚きました。これがあのトコロテンの原料? と。

実際に暮らし始めるまでは、下田にこれほど多くの海人さんがいることを知りませんでした。天草納屋で初めて海女さんたちを見かけたときはうれしくて、とても興奮したことを覚えています。

撮影を始めた当初は、海人さんたちにレンズを向けることにとても緊張しました。東京からきた「よそもん」がずけずけと入ってはいけないのではないか。撮影されるのがいやではないだろうかと。けれど、通い続けているうちに海人さんとの距離が少しずつ縮まり、「おねえさんまたきたのー」と笑顔で迎えてくれるようになって、正直とてもホッとしたのです。

天草の不純物を取り除く作業中の海女さん

さらに、ある同世代の海士さんと知り合って仲良くなり、お願いをして船にも乗せてもらえるように。海士さんから「口開けしましたよ〜(漁が解禁になること)」という連絡を受けるとウェットスーツに着替え、海まで車を走らせます。漁の期間は限られた日数、その機会を逃すと翌年まで持ち越しになるという貴重な機会です。近くに住んでいないとなかなか出会うことのできない、そして、海人さんの協力がないと立ち会えない貴重な現場を撮影させてもらっています。

わかめ漁をする海士の飯田竜さん

海士の飯田竜さん。初めてわかめ漁に同行させていただいたときの写真。

素潜りをする海女さんの海中写真

飯田さんの船に同乗させていただき、天草の潜り漁へ。海底に生息している天草を素潜りで採る同年代の海女さん、なんとも美しい。

下田で漁の撮影を始めてみると、天草諸島で受けた衝撃と同様に未知の世界が広がっていました。

たとえば、春の味覚として地元で愛されている海藻のはんば海苔。はんば海苔は荒波が押し寄せる岩場で採取するのですが、足元はとても滑りやすくいつ波にさらわれるかわからない危険な漁です。80代の海女さんは、はんばを摘みながら常に波の音を耳で聞き分け、「波がくるぞ!」と思うと岩場を猛スピードで駆け上がり逃れます。その直感と技、荒波の立つ大海原に立ち向かう勇ましさを目の当たりにすると、心底感動します。

はんば海苔を岩場で採取中

不慣れな私は頭から水しぶきをかぶり、さらに足を滑らせて転びそうに。

はんば海苔採取中に大きな波が打ち寄せている

海人さんから生きるヒントを学ぶ

私が撮影している場所は、下田市の南東部にせり出した須崎半島です。そこでは80歳を超える海女さんたちがいまでも漁を続けています。

「海に来れなかったらさみしいよ、だから健康が一番だのぉ。あたしゃよく言うんだよ。健康であることが、一番の億万長者だよって」と微笑む海女さん。

「この歳になってもやっぱり海に行きたいよ。ぜーんぶ知り尽くしてるから海のことは、あそこはどんな地形だとか貝が多くいる場所とかね」と、目を輝かせる海女さん。

「もう仕方ないってあきらめるんだよ。これが自分の人生だと思って引き受けるほかないよ」と乗り越えてきたものをゆっくりと噛み締めるように話す海女さん。

そして、「そりゃいろいろあるけどさ、海へ行くと嫌なことも何もかも忘れちまうよ」そう笑い飛ばすのです。

カメラに向かって微笑む海女さん

東京で暮らしていたときには想像もしていなかった食の原点。そこに分け入ってみると、自然と寄り添いながら生きる海人さんとの出会いがありました。

危険と隣り合わせの漁場で、時に勇ましく挑み。けれど、自然を相手にあらがってもどうにもならないことがあるのだと身をもって知り、そうして流れに身を委ねる。土地の恵みに感謝しながらゆっくりと、しっかりと自分の目の前で日々を紡ぐ。そうした暮らしをいまも変わらず続けている海人さんの姿に、私は生きるヒントを見出しているのかもしれません。

貝類をとる海女さん

トコブシなどの貝類をとる海女さん。

カゴを手に青のりを採取中

強風のなか、青のりをつむ海女さん。

今回の写真展では「下田、海と山の幸de食堂」と題して、食堂も同時開催します。写真のなかで海人さんが収穫している海藻をその場で味わうことができる、食卓とその奥にある世界がつながる食堂です。写真を見ながら味わいながら、みなさんにどんなことを感じていただけるのか。とても楽しみです。

information

津留崎徹花写真展『海と、人と』

日程:3月9日(木)〜14日(火)

時間:11:00〜20:00(最終日15時まで)

場所:hako gallery/hako plus

住所:東京都渋谷区西原3-1-4

Tel:03-5453-5321

Instagram:@umito.hitoto

※併設開催の『下田、海と山の幸de食堂』は予約制。詳細とチケット申し込みはpeatixまで。

文 津留崎徹花

text & photograph

Tetsuka Tsurusaki

津留崎徹花

つるさき・てつか●フォトグラファー。東京生まれ。料理・人物写真を中心に活動。移住先を探した末、伊豆下田で家族3人で暮らし始める。自身のコロカルでの連載『美味しいアルバム』では執筆も担当。