雲仙へ移住するきっかけとなった、ある農家

長崎県雲仙市。街中から湯けむりが上がる小浜温泉で、原川慎一郎さんが約2年前に〈BEARD〉をオープンした。それには農家の岩崎政利さんの存在が強く影響している。

昼間には明るい日差しが注ぐ店内。

昼間には明るい日差しが注ぐ店内。

原川さんがかつて東京の神田に〈the Blind Donkey〉をオープンしてまもなくのこと。アリス・ウォータースの『アート オブ シンプルフード』という本を和訳した人がお店に来て、雲仙に岩崎さんというすごい「種採り農家」がいると教えてくれた。そして、岩崎さんが最初に種採りを始めたというニンジンを持ってきてくれた。

種採り野菜とは、育った野菜から種を自家採種すること。そうして育てていくと地域の風土に合った固定種・在来種といわれる野菜ができ上がる。

「種採り野菜や在来種・固定種の野菜ということを本などで読んだ知識はありましたが、まだそのときは本当の意味では理解していませんでしたね」

雲仙市にある〈タネト〉で売っている在来種や固定種の野菜。

雲仙市にある〈タネト〉で売っている在来種や固定種の野菜。

雲仙市にある〈タネト〉で売っている在来種や固定種の野菜。

雲仙市にある〈タネト〉で売っている在来種や固定種の野菜。

 

その後、料理家仲間である長田佳子さんと一緒に、雲仙で〈タネト〉という野菜直売所を運営する奥津爾(ちかし)さんがthe Blind Donkeyにやって来た。そこで奥津さんは「自分は岩崎さんという農家さんがいるから雲仙に移住した」と言う。

「違う人から何度も“岩崎さん”が登場してすごい、と思いましたね」

そこで2018年秋に、奥津さんの案内で岩崎さんの畑を訪れることになった。

「それなりにいろいろな産地の畑を訪れてきたので、そう驚くことはないと思っていたのですが、岩崎さんの畑に行ったらただの野菜じゃない。アニメみたいに、ニンジンの葉っぱが踊っているように感じました。家に帰ったら犬が飛びついてくるくらいの人懐っこさもニンジンから感じました」

現BEARDで提供される「黒田五寸人参」。岩崎さんが最初に挑戦し、40年以上種採りをしているニンジンだ。

現BEARDで提供される「黒田五寸人参」。岩崎さんが最初に挑戦し、40年以上種採りをしているニンジンだ。

そこでつながりを持って以来、岩崎さんから定期的に野菜を購入することになった。ただし個人経営である岩崎さんの野菜の量では、当時40席以上のコース料理を提供していたthe Blind Donkeyの使用量を賄うことはできない。

そこで、コース料理を提供するメインレストランの手前にあるカウンターバーで、原川さんが岩崎さんの野菜を使った料理を提供することにした。そのとき蒸したブロッコリーを食べて衝撃を受けたという。

「種採りブロッコリーではありませんでしたが、想像するブロッコリーの味をめちゃくちゃ超えてきたんです。岩崎さんの野菜のおいしさって、無意識に襲ってきます。懐あたりが反応する感じ。おふくろの味や地元の味って、思い出を含めて“おいしい”じゃないですか。僕は岩崎さんに対して何か思い出があるわけではないのに、この感覚はなんだろうと」

その日のコース料理に使用される野菜を最初に紹介してくれる。

その日のコース料理に使用される野菜を最初に紹介してくれる。

生産者を訪ねる旅へ

原川さんは27歳のときに料理人を目指してから、都内のビストロや、フランスへ渡りフレンチレストランでの修業を経て、三軒茶屋〈ウグイス〉で働くようになる。お店を任されるようなった頃、食材、特に野菜へ強く興味を持ち始めた。次第に自分の足でマーケットなどに食材を買いに行くようになる。その流れで、アメリカのバークレーにある〈シェ・パニース〉を知った。オーガニックやローカルフードを大切にする食文化の先駆けとなるレストランである。

2011年、〈eatrip〉主宰・野村友里さん主催で、東京でシェ・パニースのシェフを中心にした食とアートのイベント『OPENharvest』が開催され、原川さんはそれを手伝うことになる。のちに一緒にthe Blind Donkeyをオープンすることになるジェローム・ワーグも、このときに来日したシェ・パニースのシェフのひとりだ。

そして2012年、原川さんは東京に自らの城であるBEARDをオープンする。

「でも開店1週間でお店を休んで、シェ・パニースへインターンに行きました。お店をオープンする前にインターンの予定も決まっていたんです。普通だったら考えられないと思いますが、自分にとっては大事なことだと思ったんです」

東京時代のBEARDから飾られていたホンマタカシさんの写真プリントは現店舗へと引き継がれている。

東京時代のBEARDから飾られていたホンマタカシさんの写真プリントは現店舗へと引き継がれている。

それから4年間、毎年1回、2〜3週間のインターンに参加する。

「向こうの生産者さんに連れて行ってもらったり、マーケットに行ったり、非常に大きな影響を受けました」

コロナ禍のオープンだったが、今では全国からお客さんが来てくれるようになったという。

コロナ禍のオープンだったが、今では全国からお客さんが来てくれるようになったという。

それ以来、日本でも全国の生産者を訪ね、現地で料理するプロジェクト「Nomadic Kitchen」を料理人仲間と行い、全国さまざまな有機農家に会いに行った。

その頃、日本に興味を持っていたジェロームさんとも、「日本全国の生産者をたくさん回って、紹介するレストランをやろう」と2017年にthe Blind Donkeyをオープンすることになる。

雲仙でBEARD再始動

2020年、原川さんは大きく舵を切る。東京のthe Blind Donkeyを離れ、ひとりで雲仙にお店を出すことにした。

「岩崎さんという、世界的に見てもなかなかいない農家の素晴らしさを伝えたいと思いました。それを料理人の立場で発信している人はいませんし。それにローカルでがんばっている人たちにエールを贈りたかった。それであれば、自分が物理的に動くことで一石を投じたい。僕は日本の未来は、地方が豊かになることがとても重要だと思っているんです」

仕込みから調理、洗い物まで、すべてひとりで切り盛りしている。

仕込みから調理、洗い物まで、すべてひとりで切り盛りしている。

かつてのthe Blind Donkeyでも、現在のBEARDでも、同じ岩崎さんの野菜を使っている。移住したことで料理に変化はあるのだろうか?

「今までも地産地消という言葉は頭では理解していましたが、雲仙に来て、その意味をより体感できました。東京に届いていた野菜とは状態が違うんですよね。東京だと、ふとしたときに急に枯れてしまう。でもこちらでは1週間、2週間経っても変わらないんです。野菜も移動するとストレスがかかるんだと思います。だから産地に近いところで食べると、エネルギーも高いのだと思います」

目に見えてわかりやすいことではないが、その“感覚”を生かして、原川さんは料理に向かっている。雲仙に来たからわかったことである。

アミューズは「壬生菜」を温泉で湯がいたもの。

アミューズは「壬生菜」を温泉で湯がいたもの。

「花芯白菜、豆腐」

「花芯白菜、豆腐」

「春菊、紅芯大根、イサキ」

「春菊、紅芯大根、イサキ」

「カリフラワー、中国ターサイ」

「カリフラワー、中国ターサイ」

 

the Blind Donkeyのときは、岩崎さんも何人か契約している農家のひとりだった。しかし今は物理的な距離も含めて身近になった。仕入れのたびに会っているので話している顔も思い浮かぶし、畑にも足を運べる。

「岩崎さんと親密になり、もうすでに“ある農家さん”の野菜ではないし、ただおいしい料理をつくるための“ネタ”でもない。この野菜の素晴らしさを伝えるために、自分には何ができるのだろうと常に考えるようになりましたね」

背景のレトロな壁紙は、かつて美容室だった名残だ。

背景のレトロな壁紙は、かつて美容室だった名残だ。

飲食店や料理人にも、野菜自体の魅力を伝えるという役目を担うことができる。今は消費者も農家から野菜を直接買うことができるが、使用方法や農家の思いなど、翻訳者たる役目もある。

「自分のことは、料理人というよりメディアだと思っています。ある種の編集者。ここから新しい文化やおもしろい文化が起こることを楽しみにしています」

実は、原川さんのキャリアのスタートは、料理で表現したいというより、お店を持ちたいという思いが先行していたのだ。

「品種改良されていない昔のブロッコリー。長く枝分かれしていたんですね」と説明してくれる原川さん。

「品種改良されていない昔のブロッコリー。長く枝分かれしていたんですね」と説明してくれる原川さん。

「ブロッコリー、キャベツ、山の鶏鳴舎の卵」

「ブロッコリー、キャベツ、山の鶏鳴舎の卵」

 

「源助大根、雲仙赤紫大根、ニシユタカ、真鯛」

「源助大根、雲仙赤紫大根、ニシユタカ、真鯛」

デザートは「紫芋、金柑、チョコレート、黒糖」。

デザートは「紫芋、金柑、チョコレート、黒糖」。

 

コミュニケーションやカルチャーを生み出す役割

原川さんが、料理の世界に入ったのは前述のとおり27歳。業界に足を踏み入れるには遅咲きといえる。

「当時、東京に住んでいて、おもしろい人がたくさん集まる居酒屋とかクラブとかによく通っていました。そういう場所って垣根なくコミュニケーションができますよね。そこで、そういう人が集まるようなカフェをやりたいと思ったんです」

カフェをオープンするだけなら、すぐにもできそうだが、自分でおいしい料理をつくりたかったので、その後、さまざまな東京やフランスのレストランなどで修業したことは前述の通り。

仕込みでじゃがいもの皮むき。

仕込みでじゃがいもの皮むき。

飲食業でやりたいことの中心が「コミュニケーションの場づくり」であるから、BEARDはカウンターかつオープンキッチンなのだ。おいしい料理を提供したいという思いはもちろん、それ以上にカルチャーを伝えたり、コミュニケーションを生み出したい。

その思いは、地域にも波及している。種採り農家がいて、その野菜を売るタネトがあり、実際に食べられるBEARDがある。野菜を巡る、すばらしいサークルが形成されている。

「人の流れは少しずつできてきていると思います。タネトさんなどと一緒に、結構本気で取り組んでいるので。ただ2年程度でそうやって思えるのは、まちの規模がそこまで大きくないからだと思います」

小さなまちであれば話題になりやすく、今の時代ならば全国へも伝わりやすい。「話題になる」ことの、大きな意味があるだろう。

カウンターはアメリカの映画によく出てくるアイランドキッチンのイメージ。いろいろなコミュニケーションが行われる。

カウンターはアメリカの映画によく出てくるアイランドキッチンのイメージ。いろいろなコミュニケーションが行われる。

若手「種採り農家」を応援したい

岩崎さんと奥津さんの存在が原川さんを雲仙へ誘ったが、もうひとり〈田中たねの農園〉田中遼平さんの存在も大きい。

今、岩崎さんは72歳。かつては80種類以上、種を採りながら野菜をつくっており、今でも50種類程度の野菜をつくっている。30歳の田中さんは、岩崎さんに習い、30種以上の種を受け継いで種採り野菜をつくっている。なんとか糸がつながったと原川さんも安心している。

「実は岩崎さんの野菜はもうあまり買えないんですよ。つくれる量がそう多くないうえに、ほしい人が多い。田中くんはまだ5年目。岩崎さんほど知名度があるわけではないので、需要がないと続けていけません。だから、少ないけど、僕は田中くんの野菜を買うために雲仙に来た、という面もあります」

料理提供時には、どんな野菜か、どんな調理法かを丁寧に説明してくれる。

料理提供時には、どんな野菜か、どんな調理法かを丁寧に説明してくれる。

原川さんのお店のみでは購入量は少ないかもしれないが、BEARDに来て田中さんの野菜を知り、野菜自体が売れるようになることで、田中さんの収入が安定し、種採り野菜の文化をつないでいくことができる。このすばらしい文化を、料理人として応援しているのだ。

「生きている限りエゴは尽きませんが、なるべくニュートラルなフィルターでありたいと思っています。岩崎さん、田中くん、タネトさんが大事していることを高い純度で伝えたい」

街中から湯けむり漂う風情ある温泉地。

街中から湯けむり漂う風情ある温泉地。

料理人として、雲仙で動きたいという意義は十分にわかる。しかし実際に完全移住してお店を開くかどうかはまた別の話。容易な決断ではないだろう。

「自分自身の人生をかけて、サンプルをつくりたかったというのはあります。自分みたいな人間がこのまちに来て、どれくらいの効果があるのか、変化が起こるのだろうか。まだまだドキドキですけど、もうやるしかない」

こう話す、原川さん。人生の局面において「行動する」という原理が働く「活動の人」だ。

メディアとして、種採り野菜を伝えること、雲仙を盛り上げること。両輪の軸として活動していることは間違いない。ローカルからどのように発信していくのか楽しみだ。

information

BEARD 

住所:長崎県雲仙市小浜町北本町2-1

TEL:0957-74-5557

営業日時:水・木・土曜 12:00スタート

金・土曜 18:00スタート

(いずれも予約制のコースメニューのみ)

定休日:日、月、火曜、不定休

WEB:BEARD

writer profile

Tomohiro Okusa

大草朋宏

おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。

photographer profile

Kiyoshi Nakamura

中村紀世志

なかむら・きよし●石川県育ち、福岡県在住のフォトグラファー。撮影で九州各地に足を運ぶかたわら、大牟田市動物園を勝手に応援するフリーペーパー『KEMONOTE』の制作を手掛けたり家族写真の撮影イベント『ズンドコ写真館』を開催したりしている。https://hiromikurokawa.com