写真提供:yomogiya

夫が憧れた大工、yomogiyaさんに、会いに行く!

あるとき、珍しく夫がわたしに頼みごとをした。それは、「取材という口実をつくって、〈yomogiya〉さんに連絡をとってほしい」というものだった。

yomogiyaとは、岩見沢から車で30分ほどのところにある長沼の大工・中村直弘さんの屋号。2年ほど前に同じ町内の南インドカレー屋さん〈shandi nivas cafe’〉の敷地に古材を使った物置小屋を中村さんが建てており、建築途中を見た夫は、同じ大工仲間として、その仕事ぶりに大きな共感を抱いたことがあった。

そして、わたしたちがいま改装をしている美流渡(みると)の古家について、中村さんに一度相談をしてみたいと夫は考えており、そのきっかけをなんとかつかみたかったようだ。

shandi nivas cafe’(シャンディ ニヴァース カフェ)は、カレーとともにスイーツもおいしいお店。店舗脇に建てられた小屋の制作中の様子。(写真提供:yomogiya)

完成した小屋。屋根のトタン以外は、すべて廃材とデッドストックの材料でつくったそう。(写真提供:yomogiya)

わたしもyomogiyaさんの活動にはとても興味を持っていたので、ぜひ取材をしてみたいと思っていた(口実ではなくて本当に!)。ホームページのコンセプトにあった「yomogiya」=「町の大工さん」というフレーズに心惹かれるものがあったからだ。

手がけるのは「小屋づくり、リフォーム、店舗づくり」といった大工仕事だけでなく、「古物のリメイク」、そして「web作成、チラシ作成」まで。きっと何十年か前の大工さんって、住民の困りごとになんでも気軽に応えてきたんじゃないかと想像するが、そんな関係をいまに蘇らせようとしているように感じられたのだ。

長沼の隣町・由仁町にある〈Gallery teto²〉。このギャラリーはこれまで縁側から入る構造になっていたが、古材を使って玄関を増設。わたしと夫も、ときどきここを訪ねており「yomogiyaさんの仕事なのか!」と興奮しながら見たことがあった。(写真提供:yomogiya)

知人を介して中村さんに連絡をとり、自宅兼仕事場を訪ねることになったのは昨年11月のこと。この日、中村さんは札幌に納品するための仕事を抱えて忙しそうな様子だったが、にこやかにわたしたちを迎え入れてくれた。まず案内してくれたのは、事務所兼モデルハウスにしようと考えているという制作中の小屋。

「週末に、ちょっとひとり暮らしができるくらいの小屋をつくろうと思って」

長沼の自宅であり仕事場に、小屋を建てていた中村さん。

全体が6畳と小さいものだが、随所に中村さんのアイデアが生かされていた。コンポストトイレを設置し、水道は引かずタンクに水をためて使うなどオフグリッドな小屋を目指しているのだという。

感心しながら中村さんの話を聞いていた夫は上機嫌。そして、こんな話を始めた。「カレー屋さんで小屋の骨組みを見たとき、こういう仕事をする人が北海道にいるんだと、すごく感動しました。納め方に誠実さを感じるんです。ずっと友だちになりたいと思っていました」

夫は自分の意見を物怖じせずに言うタイプだが、自分よりも10歳くらい若い大工さんに向かって「友だちになりたいと思っていました」という素直な発言には正直驚いた。よほど「納め方」にほれ込んだのではないかと思う(納め方とは、大工さんがよく使う言葉で、仕上げにセンスがあるとか、出来がいいとかそんな感じだろうか)。

中村さんも、わたしたちが古家を改装していることに興味を持ってくれたようで、いずれは美流渡に行きたいと語ってくれた。

念願かなって、yomogiyaさんがついに美流渡に!

中村さんと出会ってから2か月ほど経った1月のこと。ついに美流渡を訪ねてくれることになった!前の晩のうちに夫は除雪を済ませ、迎え入れる準備は万全。約束の時間に中村さんは、はるばる長沼からやってきてくれた。挨拶もそこそこに、さっそく家に入ってもらうと、中村さんがひと言。

「上がり下がりが多いですね〜」

そう言いながら、構造のひとつひとつを丹念に見回ってくれた。中村さんによると、日本の古い建築では、梁の高さを段違いにして組む構造が多いのだという。また、昔の大工さんのなかには、柱と梁の組み方が複雑なほうが丈夫という考えもあったのではないかとのこと。

例えば中央に位置する柱と梁の接合部。中央の柱は四方の梁を受けとめるためにほぞを4か所入れなければならず、どうしても強度が弱くなる。それを避けるために、この家では梁を段々に重ねるようにしているのではないかというのが、中村さんの推測だった。

「ただ……、これは複雑すぎるのでは?」と中村さんも驚くほど、不思議な上り下がりを見せているのだ。夫は、ようやく我が意を得たり(!)といった感じで、「でしょ! でしょ!!」をしきりに連発。ほかにも、気になっている部分の相談ができたようで、気持ちの整理がついた様子だった(これで、前に進めるか!?)。

わが家を見たあとは、美流渡にある空き家を、地域おこし推進員(協力隊)の吉崎祐季さんに案内してもらいながら何軒か見ていったのだが、中村さんがとても研究熱心だということがわかってきた。参考になりそうな部分は写真におさめ、なぜこのような構造になっているのかを常に考えている様子だった。

「好きだからしょうがないんです。ついなんでも考えちゃうんですよね」

そう語る中村さんだが、意外なことに大工の修業を始めたのは30歳を過ぎてからだという。

北海道で生まれた中村さんは、大学卒業後、上京して大手企業でシステムエンジニアとして働いていた。4年ほど勤めたあとに、キャリアアップを目指して、六本木にあるベンチャー系企業に転職。その頃は毎日終電で自宅に戻り、土日もコンピュータ関連の専門書を読むような生活をしていたそうで、あるとき妻のめぐりさんが、もっと別の暮らし方があるのではないかと中村さんに話したことがあったという。

それがきっかけとなり北海道へのUターンを決意。Uターンしてからも続けた仕事はコンピュータ関連だったが、あるとき大工の技術を身につけたいと思うようになったそう。

「知人から、北見紋別に月5000円で住める家があると教えてもらったんです。ただ、改修しないと住めなかったので、このとき家を直す技術がほしいと思いました」

この家に住むことはなかったが、コンピュータの仕事に限界を感じていた中村さんは、大工養成の職業訓練校に通うことにした。そして、すぐに「ハマっておもしろくなった」という。

「コンピュータの仕事をしているときは、まわりから手に職があっていいですねと言われましたが、自分ではそういう感覚がピンとこなかったんです。大工の勉強をしているときは、研ぎ物をやったとしても単純にきれいにできないことも多くて、もっとうまくなりたいと思いました。そして、真っ黒になった手を見たときに、手に“職”というのは、実は“色”なんじゃないかと思ったんです」

このとき中村さんは、昔の職人さんは仕事によって手の色や形がそれぞれ違うことに気づき、「ならば自分の手にいい色をつけたい」と考え、大工になる決心をしたのだという。その後、札幌の工務店で2、3年働き、2015年にyomogiyaを立ち上げた。

味わいがあって、愛でられる古いものを大切にしたい

職業訓練校で学び大工になる決心をしたものの、立ち上げたyomogiyaでは、実は大工をメインにするつもりはなかったと中村さんは言う。

「最初は、古いものを集めてそれをリメイクして売るお店のようなイメージでいたんです。その延長でちょっと小屋をつくったり。また、立ち上げ当初は日銭を稼ぐために大工もしなければならないかなと考えていました」

中村さんは、ずっと以前から古いものに惹かれていたという。「味わいがあって、愛でられるもの。あるいは誰かが愛でてきたものが好きなんです」という言葉通り、美流渡の古家をめぐっていても、気に入った大黒柱や床柱を見つけると丁寧にホコリをはらい、その質感を手でじっくり感じるように触っていた。

そんな中村さんが嫌いなものとしてあげたのは、既製品。無機質で大量につくられたこれらのものに、人は何か満たされないものを感じるのではないか。対して、手づくりで質感のあるものや自然素材のもの、古いものに、人は“心地よさ”を感じるのではないか。そんな風に中村さんは考えていたのだった。

yomogiyaでは、古道具の買い取りなども行っているものの、立ち上げ後に依頼が多かったのは大工の仕事だったという。依頼のほとんどが口コミで、中村さんなら「自分のこだわりを聞いてくれるんじゃないか」と期待するお客さんも多いそう。

これまで中村さんの手がけた制作物を見ていくと、木材の選び方はもちろん、釘や蝶番など細部にも目が行き届いており、随所にこだわりが感じられるが、意外にも自分は作家タイプではなく、「お客さんの要望をしっかりと聞いて、それに一生懸命応えようとしているだけ」と語っていた。

「もちろん、こだわる部分もありますが、そのほうがお客さんも喜んでくれるんですよ。面倒な作業も、自分ひとりでやっているから手がかけられるんだと思いますね。それに、自分がつくりたいと思っているものがあると、偶然なんですが、同じような依頼がくることもあって」

以前に木材を使った温室をつくってみたいと思いつきスケッチをしていたところ、なんと、その日のうちに「温室のある小屋をつくってほしい」という連絡が入ったのだそう。また、最近でも移動する小屋に興味を持っていたら、トラッククレーンにのせられるサイズの小屋をつくってほしいと頼まれたのだとか。

今回、中村さんとじっくり話をする機会を得て、声高に自分のやりたいことを訴えるのではなく、人から依頼された仕事を誠実に行うことで、ゆるやかにyomogiyaという世界観が生まれているんだということに気づかされた。

「一番うれしいのはお客さんの要望に応えられたとき」と言う中村さんは、自分の好みの“色”とお客さんの好みの“色”とをうまく交わらせて、センスのいいものがつくれる才能にあふれた人だった。

そんな中村さんと美流渡で何かできたら、ここの景色がもっとすてきに色づくんじゃないか。ついつい期待をしてしまう出来事もあった。そのひとつが、今回わたしたちと一緒に古家をめぐってくれた地域おこし推進員の吉崎さんが中村さんにした提案だ。

前回の連載で、吉崎さんが古家を取得し、そこを自らの手で改装しようとしていることを書いたが、大工の専門的な知識がないため、リノベーションの学校のようなしくみをつくって、中村さんに教えてもらいながら一緒に改装をすることはできないだろうかというものだった。

また、案内した古家のなかで、ここが炭鉱街だったときに建てられた木造3階建ての〈旧美流渡洋裁学院〉を見たとき、中村さんの目が輝く場面も。

「この建物いいですね〜。ギャラリーや店舗、アトリエがいくつか入るような、シェアスペースみたいな使い方もできそうですね。本気で借りたいかも……」

美流渡の空き家は、傷みも激しく素人目には廃屋のように映ってしまうが、中村さんのような人が見れば十分生かされるチャンスがあるんだということをあらためて知った。しかも、吉崎さんが考えるような、リノベーションの学校がここでできたら確かにおもしろい。生徒ひとりにつき、改装できる空き家を一軒貸し出すなんてことも美流渡ならできるかも? ……そんな奇抜なアイデアも広がって。

中村さんとまた美流渡で会う機会がもてたらと願いつつ、トラックで帰路につく背中を見送った。

writer profile

Michiko Kurushima

來嶋路子

くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。http://michikuru.com/