情緒あるまちに残る醤油蔵

ふと仕事を忘れてぶらりと散策したくなるほど情緒あふれる川越のまちなかに「松本醤油商店」がありました。蔵の表にある「醸ん楽座」という直売店には観光客が出たり入ったり。

「大正時代は埼玉に蔵元が123軒あったけれど、いまや12軒のみ。特にうちみたいにまちなかにある蔵は、駐車場に変えたりして醤油業からいち早く撤退していきました」そう話すのは松本醤油商店の松本公夫社長。

「うちが残った理由ですか? まずは醤油を造ることが好きだったことですね。先祖から受け継いだものから大切にしないと、という自覚もあります。あとは婿という意地ですね」と柔らかく笑いました。

caption:松本公夫社長。まっすぐな想いが伝わってくる。

caption:社員も生き生きと働く。

地元で造った醤油を地元の人が使うというのが当たり前だったけれど、「大手メーカーの醤油が入ってきました。しかも、いまでこそうちみたいな昔ながらの造りが評価されていますが、当時は『大手メーカーの醤油こそ質が高い』という人が多く、地元の醤油は評価されにくい傾向にありました」という言葉に、醤油蔵として残る苦労が表れます。

caption:地元埼玉産大豆も積極的に使う。

caption:大豆を蒸すNK管。醤油造りは一から手がける。

決め手となった看板商品「はつかり醤油」

「思い返せば、40年前までは酒屋での販売や業務用が多く、脱脂加工大豆を使って安い醤油を売るようにしていました」

その状況を変えるきっかけになったのが、現在の看板商品「はつかり」。地元の蔵元が苦しむ理由は、大手の影響以上に「いや、高級層の人が買うものがないだけでは?」と思い、「もっといいものを造ればいいんだ」と気づいたそうです。

「まずは脱脂加工大豆ではなく丸大豆を使ってみました。しかし旨みを表す醤油中の窒素分が1.5%や1.6%と普通の数字。そこで、『再仕込醤油』にしよう! と思いました」

caption:39本の木桶が並ぶ。古いものは180年も経つ。

caption:ある日解体した桶の底板には「天保2年」という表記と桶師の名前が連なる。

とはいえ、「再仕込醤油」をただ出しても、親しみがなくて手を出しにくいもの。そこで濃口醤油に近い再仕込み醤油を思いつきます。狙うは再仕込醤油特有の癖がなく、濃口醤油のように使いやすいもの。それもリピートしやすい価格のものを。

この狙いが当たり、いまでは宅配サービスの「らでぃっしゅぼーや」や、「紀ノ國屋」「成城石井」などこだわりの小売店が「これはいい醤油だ」と、こぞって取引を希望するようになりました。

「子どもがいつもと違うって言うんです」とリピーターが増え、「深みがある」と好評が増す。

いまでは川越唯一の醤油蔵として地域から愛される存在に。さらに平成19年には川越で唯一の造り酒屋「鏡山酒造」を設立。4、5年前から土日の見学を受け付け、半年前からは平日の見学も受け付けるようになり、「伝える」場所としても一翼を担っています。

caption:気軽に立ち寄れる直売店「醸ん楽座」。

caption:観光客も気軽に持ち帰ることができる50ccのミニサイズを用意。

ありそうでなかった再仕込醤油

濃口に近い再仕込醤油とはいったいどんなものだろうかと、違いのわかりやすい豆腐で試してみました。するとすぐに納得。豆腐はぐっとまろやかに、そして豆腐の持つ甘みや旨みが引き立ちます。醤油の味や香りが主張することなく、そっと食材や料理を濃厚な味わいに仕上げてくれます。これは、コクを出しつつ素材本来の味や香りも楽しみたい人にぴったり。たまごかけご飯や赤身魚のお刺身など、つけたりかけたりして味わう定番料理に使ったり、ソースやカレーなどのコク出しの隠し味として使いたい。

いい醤油だけを狙えば旨み成分の高い醤油を追求するもの。そこをあえて、窒素分を一般の再仕込より低く、濃口醤油より高めに調整。さらに風味を引き締める塩分も濃口醤油並みにした醤油に仕上げました。このように使いやすさ重視の醤油に仕上げたのは消費者と向き合っている証拠です。「はつかり」はまさにありそうでなかった再仕込醤油。松本醤油商店の大半の売り上げを占める人気商品になったのにも納得です。

caption:柔らかな濃厚な豆腐にひとかけ。豆腐の濃厚さと、大豆の甘みと旨みが際立つ。

information

松本醤油商店

住所:埼玉県川越市仲町10-13TEL:049-222-0432http://www.hatsukari.co.jp/

writer's profile

Keiko Kuroshima
黒島慶子

くろしま・けいこ●醤油とオリーブオイルのソムリエ&Webとグラフィックのデザイナー。小豆島の醤油のまちに生まれ、蔵人たちと共に育つ。20歳のときに体温が伝わる醤油を造る職人に惚れ込み、小豆島を拠点に全国の蔵人を訪ね続けては、さまざまな人やコトを結びつけ続けている。