すし屋の門を初めてたたいてから50年以上もの間、すしを握り続ける銀座「すきやばし次郎」の主、小野二郎さん。彼が求め続けるすしとは、職人の姿とは。二郎さんが「もっとも信頼していて話しやすい」と名をあげる料理評論家、山本益博さんが、その言葉を聞き出す連載。ジャンルを超えてすべての料理人に伝えたい。

一、日本料理の技術を見直すと、独自の握りが見えてくる

私は静岡県天竜市の生まれなんですが、戦後すぐの頃、浜松の日本料理屋で働いていたことがありましてね。そのときの経験が、今のすしに役立っていると思うことがよくあります。そのひとつが、カツオでしょうか。

うちのカツオを食べるとね、お客さんの顔がとろーん、となるんです。ああ、うまいんだなって、そりゃ、見ればわかりますよ。

うちの(カツオ)は藁でいぶすんです。まっさらな藁をバケツに入れて火をつけ、そこから出てくる煙で皮目のほうをいぶして香りを付ける。火が出たら、今度はその火で皮を焼いていき、皮が焼けたら藁を足して、さらに煙で腹側の身をいぶして仕上げ。こうして少しずつ手を加えてやることで、なんともいえないいい香りが付くんです。それに藁は火がやわらかいですから、いい具合に皮目だけ火が入る。

このやり方のヒントになったのが、浜松での仕事です。この辺りはカツオがよくとれたんですよ。ただその頃、藁はものすごく貴重かやでしたから、川岸に生えていた萱を使ってたと記憶しています。手に入りにくいということでいえば今もそうなのですが、うちは田舎の知り合いに頼んで送ってもらっています。

実は、昔はつまみを用意していたので、カツオの刺身に小さく切ったニンニクを別に添えて出していたことがあるんです。好きな人はどうぞ、ってね。でも私は触りませんでしたよ。だって臭いが付くじゃないですか。私はね、基本的に食べもしないんですよ。食べるとすれば、休みが3日続くときだけ。ニンニクの臭いがするすし職人は嫌でしょう。それだけの理由です。

カツオは好きなネタのひとつですが、非常にむずかしい魚です。一本、丸で買っておろしてみるまでわからないんですから。ほかの魚は太っているとだいたい脂がのっているもんなんですが、カツオはそうとは限らない。一本釣りのときに漁船の縁にバーンと当たって背骨が折れたようなカツオもやわらかくなる。やわらかさだけでの見極めがむずかしいんです。

また、群れで動きますからね。先頭をきって泳ぐヤツとそうでないヤツとでは味が変わる。先頭のヤツはエサをどんどん食べられるけれど、後ろのヤツは残りのエサしか食べていないかもしれない。つまり、同じ群れのなかでも、使えるものとそうでないものがあって、同じ港に入ったものでも、船によって違うわけです。

また、困ったことに色も変わりやすい。うちはあぶっているから、さらに変わりやすい。こんなにロスが出る魚はないですよ。だから、使わない店もあるんでしょう。でも、今年は当たり年でした。以前はほんとうに限られた春から初夏にかけてのカツオしか使わなかったんですが、潮の流れが変わったからか、秋口までもいいカツオが入ることがありましたね。

初と戻り。ふたつの旬を迎えたとき、もっとも人気が出るカツオの握り。

めざす握りへのヒントはどこにでもあるはず

アワビも料理屋で覚えたことが役立っていますね。すし屋になろうと東京に出てきた頃、修業先の「与志乃」で教わったのは、「煮っ転がし」と呼ばれる昔からの仕事でした。鍋のなかで転がしながら、醤油と酒とともに煮詰めていって煮貝にするんです。そのままでは固いから薄く切ってツメを塗って出すんですが、これでは甘いツメを食べてるようなもんで、アワビの繊細な香りは消えてしまう。そこで考えたのが、やはり浜松でやっていた塩で磨いてそのまま蒸し器で蒸す「塩蒸し」という方法。こうすると香りが残ってやわらかいんです。これを手始めに、もっと香りが出て、もっと身がやわらかくなる方法を研究したのが、今のやり方です。

日本料理を自分からすすんでやっていたわけじゃないけど、やってよかったと心から思います。それで、(すし屋を)継いでくれた息子にも、日本料理屋での修業をすすめました。行き詰まったとき、日本料理から考えれば、まだまだ方法は見つかると思います。もしかしたら、フランス料理にもあるかも知れません。私のこれまでを振り返ってみても、すしをおいしくするヒントは、いつ、どんなところにあるのか、わからないのですから。

いくら

評判ネタを一年中食べてもらいたいとの願いから生み出した冷凍技術。旬の生イクラを丁寧に掃除した後、醤油漬けにしてから−50 ℃の低温冷凍庫で凍らせる。いったん−10℃の冷凍庫に移してしばらくしてから冷蔵庫へ。限りなく生イクラに近い状態となる。

2年以上の歳月をかけて試行錯誤を繰り返した独自の冷凍技術が光る。

卵のひと粒ひと粒が赤い真珠のように美しく光る。

酒と水で3〜4時間、やわらかくなるまでじっくり煮ながら味をしみこませていく。身が飴色になったら、そのまま漬け込んで冷ます。 アワビ独特の繊細な香りを出すため、ツメではなく煮きりを塗っ て。アワビが激減した昨今、もっとも高級なネタのひとつに。

塩蒸しをヒントに研究しながら行き着いたやわらかさと繊細な香り。

煮汁に漬け込んだまま常温に。表面を波状に切って握る。

山本益博 監修、管洋志 撮影

本記事は雑誌料理王国第203号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第203号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。