1970〜80年代、西麻布「カピトリーノ」の吉川敏明さんや「グラナータ」の落合さん、「アルポルト」の片岡さん、神宮前「タヴェルナ・アズーラ」の斉藤惠自さんたちがイタリアで修業して帰国し、イタリアのヌオーヴァ・クッチーナあるいは郷土料理を東京に根付かせ、「憧れのシェフ」となった。その「憧れ」は若き料理人たちをイタリアに旅立たせた。数年後、帰国した「第2世代」によって、90年代のイタリアンは幕を開ける。

1990年
イタリアを向いたイタリア料理を。西麻布に「アクアパッツア」オープン

1990年、「90年代のイタリアン」の進む道を照らす象徴的な店が西麻布にオープンした。「アクアパッツア」。28歳で渡伊した日髙良実さんが帰国、南イタリアの漁師料理の名を冠した店を開いたのだ。

「当時はイタリアの星付きの店でさえ、フランスを向いていました」

なぜ、イタリアに来てまでフランス料理みたいなことをやっているのか――。その疑問に答えをくれたのがアクアパッツアだった。日高さんは、素材の力強さを活かした大胆な料理に出会った感動を今も忘れない。

帰国した80年代末、日本はヌオーヴァ・クッチーナの全盛期。南イタリアの郷土料理を出すのは、時代に逆行する賭けのようだった。しかし、店を開けるや、流行に敏に敏

感な文筆家やデザイナーなどが夜な夜な集まり、広尾・西麻布の話題のスポットに。

「成熟した舌が、シンプルな料理を求めている、と強く感じました」

成功は決して偶然ではない。新鮮なよい素材をシンプルに。「アクアパッツア」のスタイルは、日本のイタリアンの新たな基軸になった。

日髙良実|アクアパッツア

フランス料理からイタリア料理へ転身したのは「不器用だったからです」と笑う。「リストランテ・ハナダ」を経て渡伊し、「エノテカ・ピンキオーリ」「グァルティエーロ・マルケージ」などで修業。「ピンキオーリさん、マルケージさんのふたりから『郷土料理を学べ』と言われました」。何かおもしろい料理はないか、と各地を探し歩いた。アクアパッツアと出会ったのはカンパーニア州「ドン・アルフォンソ1890」だ。鮮魚を海水で煮てオリーブオイルで仕上げる。ブイヨンやワインなどは使わない。「これこそ僕が思い描いたイタリア料理だ」と、開眼した。ただし、ひと言で「シンプル」というが、「シンプル」は「ごまかし」が効かない。「そのためにはよい素材を見極める目が大事。その目こそ職人の技です」

キンキのアクアパッツァ

1993年
「自分だけの料理」を模索して北の郷土料理にたどり着いた

「日本一、世界一のイタリア料理店にしよう。それがアクアパッツアの始まりでした」と創業メンバーのひとり岡谷さんは語る。キッチンは全員イタリア帰りで、各々が何か表現したいものを持つ、そんなクリエイティブな空気に包まれていた。

その後、岡谷さんは93年に27歳で六本木に「ロッシ」を開店した。最初の3年は苦戦が続いた。ある日お客さんから「日髙さんの料理に似ているね。けれど、日髙さんの方がおいしい」と言われた。師匠と同じことをしてもしようがない。それから自分のスタイルの模索が始まった。

まだ紹介されていない、埋もれた料理を出そう。90年代には毎年のようにイタリアへ行った。事前におもしろい料理を探しては、下調べをして、食べる店も決める。現地で気に入ったら厨房に入らせてもらい、働きながらその料理をマスターする。「自分の料理はどこにもない、ここだけの料理」。この強い自負心が「、北イタリアの郷土料理」というジャンルを日本に確立させた。「何事も勉強だ」などとは思っていない。「遊びですから」と岡谷さん。イタリアへの尽きることない好奇心が、岡谷さんを料理に向かわせる。

岡谷文雄|ロッシ

89年に23歳でイタリアへ渡って、2年間修業した。帰国後「アクアパッツア」を経て27歳で独立。「27歳で店を持とうと思っていたんですが、今思うと早過ぎましたよね」。食べなれているお客の方がイタリア料理に詳しい。シェフだと言っても、ものを知らないから説明できない。「子どもっぽくも見られますし」。6年半でロッシを閉め、99年に表参道の一軒家のレストラン「フェリチタ」の総料理長に。11年半勤めたのち、2011年9月に麹町に「ロッシ」を復活させた。自身の酒好きもあり、第1期ロッシッシと変わらぬ「飲める店」がコンセプト。お酒が飲める工夫を料理の随所にほどこすのが、岡谷スタイルだ。

1995年
90年代、イタリア料理界の混乱期に
〝洗練された郷土料理〞で勝負

奥村さんは「アルポルト」のオープニングスタッフとして片岡シェフのセコンドを務めた実力派だが、先端をゆく店で腕を磨いた分、「流行」に対する矛盾も敏感に感じていた。

ヌオーヴァ・クッチーナ。90年代のその潮流を受けて走るうちに、足元が見えなくなった。たとえばそれは、ウンブリアで見た素朴な料理と違い過ぎた。行き詰った奥田さんは94年、2度目の渡伊。1年間のイタリアで見えたのは、イタリア料理の根っこにある郷土料理だった。自分の方向性を再確認した。帰国直後95年に「アカーチェ」をオープン。毎日飽きずに食べられる郷土料理を、洗練された手法で表現したかった。「個性なんて周りが決めるもの。僕は基本を大切に、味を大切に、手間をかけて料理しているだけです」

奥村忠士|アカーチェ

イタリア料理とは「郷土料理」のことなのに、90年代当時それをわかっている料理人は少なかった。94年に長本和子さん(P57)とイタリアを周って、クッチーナ・ポーヴェラがどういう過程を経てヌオーヴァ・クッチーナになったのかを理解した。

料理人には日常的な厳しさが大切だ。後輩には道具を大切に、材料も大切に、スピードを速く、客のテンポに合わせられるように、と訓練した。そうすれば完成度も高くなる。負荷をかければ本当の自分が出る。「経験を大事に、迷わずにやればいい」

Cuisine Kingdom=文 星野泰孝、依田佳子、富貴塚悠太=写真

本記事は雑誌料理王国第219号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第219号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。