ミラノでは毎日が刺激的で、
学ぶことばかりだった

人生を変えた味 忘れられないカルボナーラ

カルボナーラ
良質な卵と、パンチェッタではなく“おいしいベーコン”を使うのが片岡流。パルミジャーノ・レッジャーノをふんだんに入れ、ワインにも合うしっかりとした味付けに仕上げる。
以前はエダムチーズを使っていたことも。

西麻布の「リストランテ アルポルト」のオーナーシェフ・片岡護さんは、日本にイタリア料理を浸透させた料理人のひとり。また、“パスタの名手”としても名高い。
片岡さんにとって、パスタはイタリア料理の原点。15歳の頃に初めて食べたカルボナーラの味は、今でも忘れられないという。「そのカルボナーラは、母が勤め先の外交官のお宅からいただいてきたものでした。すっかり冷めきっていたのですが、こんなにおいしいものがあったんだ!と衝撃でした。自分で作って、得意がって友達に食べさせたりもしましたよ。当時はパルミジャーノ・レッジャーノもパンチェッタもないし、なかなか材料が揃わなくてね」と懐かしそうに当時を振り返る。

もともと片岡さんはデザイナーを目指していたが、美大受験の失敗を機に人生が一変した。
「知り合いの方が『これから総領事としてミラノに赴任するから、もしも大学に落ちたらコックとしてついておいで』と励ましのつもりで言ってくださったのを、僕が真に受けてしまったんです(笑)。浪人してもう一度美大を受験しようか、料理人になろうか……と悩んでいた時に、デザイン研究所の先生が言ってくださった『デザインと料理は同じ。キャンバスの上に描くか、お皿の上に描くかの違いだけだ』という言葉も背中を押してくれました」

「マリーエ」を開く前、リストランテ「ラニエリ」での修業時代。この頃覚えた
「クレープ“ラニエリ風”」はアルポルトを代表するメニューのひとつだという。

総領事としては、まさか本当にミラノについてくると思っていなかったんだろうと言うが、総領事館の食事に和食は欠かせないからと、片岡さんは出発前に「つきぢ田村」で3カ月間の研修を受けることに。
「ほぼ素人同然ですから、ミラノへ渡ってからもいろいろなイタリア料理店で研修を受けさせてもらっていました。日本人の方に豆腐の作り方を教わったら、大失敗しておからになってしまったこともありました。
ミラノでは昼はイタリア料理、夜は和食を作る日々。接待用に懐石料理をお出ししたこともあります。とにかくおいしいものを食べさせたい、喜んでもらいたい。その一心でした。総領事館で勤めた5年間は、毎日が勉強。総領事夫妻が、料理人としての僕を育ててくれたんです」

研修以外にも、各地の三ツ星レストランをはじめ、一流と呼ばれる店を食べ歩いた片岡さん。当時、給与は飲食代に使ってしまい、手元にはほとんど残らなかった。
「リヨンの『ポール・ボキューズ』はひとつひとつの料理がパーフェクトで、付け合わせのインゲンさえ素晴らしかった。こういう店があるんだと感動しました」

自身の店の名前の由来にもなった、魚介料理専門店「アルポルト」と出合ったのもこの頃だ。また、大皿で料理を提供する店が多いなかで、小皿料理で楽しませていた「ダ リーノ」でも衝撃を受け、「いつか日本で同じようなスタイルの店を開こう」と決心したという。


5年の任期を終え、1973年に帰国した片岡さんは、「日本で一番厳しい店で勉強しなさい」という総領事の言葉を受けて「小川軒」へ入店する。すでに小皿料理を始めていた「小川軒」での修業期間は、片岡さんをさらに成長へと導いた。

初めてシェフとしてキッチンに立ったのは28歳の時。ミラノで出会った声楽家・五十嵐喜芳氏と始めたリストランテ「マリーエ」で、ようやく自分が作りたかった、小皿料理をメインとしたスタイルを確立する。これが大ヒットし、イタリア料理は一躍ブームとなった。

バブル景気も重なり、めまぐるしい日々が続いた。1日に驚くほどの売上があった時代だ。そんな中で転機が訪れる。
「引き抜きの話がきたんです。給料が倍になるなど、いろいろな条件を提示されて、正直、心も揺れました。そこでふと『俺って才能があるのかもしれない』と思ったんですね。だとしたら、自分で店をやったほうがいいのかなと考えたんです」

若いシェフたちにはいいお手本になってほしい

リヤカーを引いてでも店をやろうと決心した

パスタは片岡さんにとって思い入れの多いメニュー。「カルボナーラ」のほか、生ウニを使ったものなどもよく知られている。

1983年、片岡さんは34歳で多額の資金を借りたが、「失敗したら、リヤカーを引いてパスタの屋台でもすればいい」と決心して、現在の地に「リストランテ アルポルト」をオープンする。
「一切の広告を打たなかったので、初めの頃はほとんど知られていませんでした。従業員たちの給料をどうやって払おうか……と思っていたほど。そんな時に、女優の有馬稲子さんが朝日新聞のコラムで店のことを書いてくれたんです。そうしたらお客さまが来てくださるようになった」

以来、片岡さんは34年以上にわたり、イタリア料理のシェフとして第一線で活躍し続けている。経済情勢の浮き沈みに翻弄されながらも、店を辞めようと思ったことは一度もないという。
「バブルがはじけて一気に売上が落ちた時に、『いつかまた、必ず景気は戻ってくるから、失敗しても一からやり直せばいい。お客さまがおいしいと思う料理を作り続けよう』と決めたんです」

料理人として仕事を始めて約50年。
しかし、同じ感動を味わってほしいと友人に「カルボナーラ」を作った少年時代、慣れないながらも総領事夫妻を喜ばせるために料理をしていたミラノ時代と、気持ちは変わらない。

今も休日には各地を巡って食べ歩き、いつか、ミラノの「アルポルト」のような魚介料理がメインのレストランを開きたいと目を輝かせる一方で、現在、ともに働いている息子の宏之さんへバトンを渡すタイミングも考えているという。
「今は食材も豊富だし、手に入らないものはほとんどありません。これだけ多くのものが揃っていれば、今後はもっとクリエイティブな、それでいて新しい料理が生まれてくるんじゃないかなと思っているんです。僕はそれに遅れないようにしたいし、研究したいと思っています。だから若いシェフたちには“いいお手本になってね”と伝えたいですね」

Mamoru Kataoka

1948 年東京都生まれ。20 歳の時、「つきぢ田村」での研修を経て総領事付きの料理人として渡伊。帰国後、「小川軒」で研鑽を積み、南麻布「マ
リーエ」の料理長を務める。1983 年に独立し、「リストランテ アルポルト」をオープン。

リストランテ アルポルト
RISTORANTE Al Port
東京都港区西麻布3-24-9
上田ビルB1F
☎03-3403-2916
●11:30〜15:00(13:30LO)
17:30〜23:00(21:30LO)
● 月、第1火休
●コース
昼3300円〜、夜8450円〜
●40席
www.alporto.jp

河西みのり=取材、文 小寺 恵=撮影

本記事は雑誌料理王国274号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は274号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。