日本でもメーカーが続々半世紀を超えるアニバーサリーを迎え、車種でも50年の節目、そんなセレモニーやキャンペーンを見かけることも増えてきました。そんなこともあってか海外のコレクターの中でも日本車の人気が上がっているのだとか。

ものすごい値段で取引されるクルマもありますね。まあその価格そのものは「欲しい人が入札するときに出せるだけ出す」が値段形成の理由の基本だと思います。ですから「すなわち取引価格の高さが評価の高さ」ということにはならないと思うのです。しかしながら評価が低ければそれほど高価な価格での取引はされないでしょうから、日本人としてもうれしいものですね。

ドイツからの便りの中に1976年生まれのセリカの写真がありました。懐かしいですね。そして国内でも人気のモデルの一台、そういってもいいかもしれません。このクルマが思い出の一台、初めて運転した愛車、デートに行った。そんな思い出を話してくださるクルマ好きの先輩も多いクルマのように感じます。

このセリカ、なんでももともとドイツにあって、ドイツでかわいがってもらって、いまなお素晴らしいコンディションを誇る一台。こういうクルマを見ていると「思いは伝わる。」あるいは「海を越えて共感の輪は広がるのだ」というようなことを感じますね。どんなところを走ったのでしょうか。オーナーの方のご苦労はなかったのでしょうか。そんなこのクルマが今までどんなふうに、かの地で生息してきたか、それを思うとクルマを介してドイツでこのクルマを愛してきたオーナー、あるいはオーナー達がどんな人生を送ってきたのだろうか、と思いが広がるから面白いものです。

お天気の日も雨の日も、嬉しいことも悲しいことも、安らかなときも悔しい時もあったのでしょう。でもそんな風なことに思いを馳せれば、自分のカーライフを演出するのが愛車、であると同時に、どんな舞台に立たせてあげられたか、それはオーナー次第なのだなということに気づかされます。愛車を愛でる、愛車に楽しませてもらう。それもいいでしょうが、愛車、そのクルマにふさわしい乗り方、できているだろうか。なんだか自分の愛車が時々かわいそうなことになっているような気がして悲しくなりました。

ただ、もしかすると1976年という時代、このセリカが生まれた背景がわたしにそんな思いを巡らせるのかもしれません。そんな気持ちにさせるのかもしれません。そんな風に思ったのです。私が生まれたころ。なんだかいろいろ、少しずつがまんしたり、努力したりしていたころ。でも勢いがあって、がむしゃらで。

佇むセリカをみているだけで、なんだか「もっと頑張らないと!」そんな励まされているような気持ちになったのでした。懐かしいって、いいものですね。

[ライター/中込健太郎 画像/ドイツ駐在員]