先日、カープOBの高橋慶彦氏に会い、いろんな話を聞く機会を得た。オールドファンには説明の必要はないだろうが、70年代後半から80年代の赤ヘル黄金期を支えた俊足好打の1番ショート、79年の33試合連続安打記録は今も破られていない。

 甘いマスクの持ち主で、カープで最初の全国区人気を得た選手だった。当時、「カープの選手が乗る車は親会社のマツダ車に限る」という不文律を破り、真っ赤なポルシェを乗り回して、話題にもなった。慶彦氏は「球団関係者に聞いたら、トヨタや日産はダメと言われたので、外車ならいいんだ、と都合よく解釈したんだよ」とニヤリと笑った。

 79年の日本シリーズ第7戦「江夏の21球」と呼ばれるあの緊迫の場面については、「先頭打者にヒット打たれて、代走藤瀬が盗塁したでしょ。あれね、水沼さんがいい送球してくれたらアウトだったね。ワンバウンドで捕れなくて。一気に三塁まで行かれちゃった。ボクの責任じゃないよ、記録だって水沼さんのエラーになってるでしょ」と笑った。

 「その後、無死満塁になって、こりゃあ大変なことになったなと思った途端、足がガクガク震えるのよ。三振とスクイズ失敗で2死二、三塁になっても、足の震えが止まらなくてねえ。その時にね、ショートゴロだけは打ってくれるなと祈ったね。絶対エラーすると確信のようなモノがあったよ。だから最後の打者が三振して、カープの日本一が決まった瞬間は、うれしいというよりホッとしたのを覚えてるよ」と、しみじみ語ってくれた。

 今年還暦を迎えた慶彦氏は、体形もほとんど変わらず、40代半ばにしか見えない。相変わらずモテますか?と聞くと、片目をつぶりながら「まだまだ現役だよーん」とおどけてみせた。

 去年まではオリックスの1軍打撃コーチ。もう一度、カープのユニホームを着てほしいと思う、カープファンは多いだろう。



 山中 秀樹(やまなか・ひでき)1958年生まれ、広島市南区出身。幟町小から修道中・高、早大第一文学部を経て、81年にフジテレビにアナウンサーとして入社。同局の看板アナウンサーの1人として幅広い分野で活躍。06年12月31日付で同局を退社。現所属は(株)タイタン。血液型はO、好きなものは芋焼酎で、苦手は変な日本語。特技はベンチプレス100キロ。美智代夫人と2人暮らし。