今年のプロ野球は「投高打低」の様相が顕著だったようである。実際、ノーヒットノーランの達成数だけ見ても、佐々木朗希(ロッテ)の完全試合を含む史上最多タイの5回。それも戦前の1940年以来、82年ぶりというから驚く。これに対して、打つ方は3割打者がセ・リーグ、パ・リーグいずれも3人(20日終了時)。そんな中で王貞治(巨人)が記録した日本人選手最多本塁打の55本に並んだばかりか、三冠王も濃厚な村上宗隆(ヤクルト)の打撃は「驚異的」というほか申すべき言葉がない。

 こんな怪物の村上はともかくとして、「投高」の要因の一つには、投手陣の分業制が挙げられようか。先発陣は中6日の登板で、球数は約100球。リリーフ陣は基本的に1イニング限定で、3連投は避ける。さらに160キロ台の快速投手も出現しているとあれば、時代は打者受難の方向に動いているのかもしれない。

 その対策として、コロナ禍で外出もままならず、退屈していた当方の頭から、一つの妄想が浮かんだ。カープの上本崇司のような選手9人で打線を組めば、先発投手を早い回で降板させることができるのではないか−。

 いわば上本ばりに粘って、一人が10球以上投げさせれば、先発は3イニングが限界という計算だ。こんな現実離れしたたわ言を持ち出したのは今年、カープがここまで頑張れたのも、上本の存在があったからこそである。

 この選手については、広陵高時代に甲子園大会で計3度、中国新聞大阪支社勤務のころの取材で見ている。その時の印象は、俊足で攻守にキビキビした正田耕三に似た内野手。いかにもカープ球団が好みそうな選手に思えた。実際に明治大時代にドラフトで3位指名しているのだから、入団時は即戦力の見立てだったろう。

 しかし、当時の内野は梵英心、菊池涼介、堂林翔太、翌年には田中広輔が入団したとあって、以後は代走や守備固め要員に甘んじ続けている。さらに2年目のオフからは、スイッチヒッターに取り組むなど、昨年までの9年間は「何でもする男」だった。

 そんな男が今年、「何とかする男」になぜ変わったのかは、元監督の三村敏之氏が著作の「超二流のススメ。」(アスリート社)の中で、解答を述べているような気がする。三村氏は言う。「超二流とは、自分を知り、物事の本質を理解して、自分を生かす方法に工夫を加えられる普通の人」

 この分析を今年の上本に当てはめれば、まさにピッタリ。打撃での粘っこさや、守備でのユーティリティーぶりは、ここまでくすぶり続けてきた中で、普通の選手が見いだした超二流に向けての方策だったのではなかろうか。

 この著書が発刊された当時、三村氏と一流と二流の違いなどについて、話し込んだことがある。その時、彼は言った。「素質のある人が努力すると『名人』になり、素質のない人が努力すると『達人』になる」

 この意見をかみ砕くと、選手の多くが「達人」の域に至らないのも、自分の力の見極めを誤り、「名人」という背伸びした夢を追い過ぎているからだろう。

 まだレギュラー未満の上本は無論、「名人」ではなく、「達人」とまでも言えそうにない。しかし、カープの若手にとって、10年目で会得したその超二流ぶりは、大いに参考になるに違いない。



 永山 貞義(ながやま・さだよし)1949年2月、広島県海田町生まれ。広島商高−法大と進んだ後、72年、中国新聞社に入社。カープには初優勝した75年夏から30年以上関わり、コラムの「球炎」は通算19年担当。運動部長を経て編集委員。現在は契約社員の囲碁担当で地元大会の観戦記などを書いている。広島商高時代の66年、夏の甲子園大会に3番打者として出場。優勝候補に挙げられたが、1回戦で桐生(群馬)に敗れた。カープ監督を務めた故・三村敏之氏は同期。阪神で活躍した山本和行氏は一つ下でエースだった。