【安仁屋宗八傳2】(前編)

 安仁屋宗八は1944(昭和19)年8月17日に沖縄・那覇の垣花(かきのはな)で父宗英(1900年生)、糸満出身の母ミツ(1906年生)の間に8人兄弟の6男として誕生した。8番目に生まれたから「宗八」と名付けられた。

 宗英は漁師で、その父もまた漁師だった。安仁屋家は代々漁をなりわいとしていたようだ。垣花は那覇湾を望む良質の漁港である。

 安仁屋が誕生したころ、太平洋戦争は激しさを増していた。翌45年3月26日には米軍が慶良間諸島、4月1日には沖縄本島に上陸し、国内で唯一の地上戦が行われた。

 間近に迫る戦火。宗英は安仁屋誕生の2カ月後、大分市へ船で脱出する決断をした。

 安仁屋は語る。「もちろん、0歳の時だから記憶はない。でも父や兄からその時の話をよく聞かされた。家族10人と親戚2人を乗せての航海は命からがらで半端でない思いをしたということだった」

 このころ、沖縄の人々は船で九州各地を目指した。だが、敵機や潜水艦に発見されて撃沈される危険に満ちていた。「対馬丸の悲劇」は有名だ。

 宗英が用意したポンポン蒸気船に、20歳近い長兄の宗一、次男宗全、三男宗分、四男宗次郎、長女豊子、五男宗太郎、次女美代子、母ミツに背負われた宗八、そして親戚2人が乗り込んだ。