【安仁屋宗八傳2】(後編)

 航海は星の位置が頼りで夜に限られた。昼は敵に発見されないように島陰や洞窟に隠れた。宗英の漁師としての経験と勘、そして操縦がすべてだった。

 平和な時代なら、南方の夜空にきらめく星たちはロマンを誘うだろうが、この時の安仁屋一家には命綱だ。

 天運もあった。一家は何日もかかって大分市に到着した。待っていたのは食糧難だ。父と上3人の兄たちは食料を求めて奔走する日々だった。

 戦争末期、米軍による本土への空襲が日常化していたが、九州も例外ではない。大分市は豊後水道が本土空襲の経路に当たっており、45年春以降、空襲にさらされていた。

 宗英が買い出しに出掛けていた、ある日のこと。空襲警報が鳴り響き、家族は安全な場所を求めて移動しようとした。その時、近くで「ドーン!」と爆弾のさく裂音がした。

 家族はとっさに身を伏せた。土煙が舞う。ハッと気づくと、宗八がいない。爆風で飛ばされたのだ。防空壕(ごう)が崩れ、あたり一面は土で埋まっていた。家族は土を掘り起こし、必死で探した。

 発見したのはミツだった。宗八は次女美代子の赤い服を着せられていた。その赤い服の一部が土と土の間から顔をのぞかせていたのである。

 後年、安仁屋はその話を何度も聞かされた。いま思う。「赤で助かった。よくみんなが死なずに沖縄に帰ることができた。奇跡みたいな話だ」。=敬称略=