【安仁屋宗八傳3】(前編)

 1945年8月15日、太平洋戦争は終結した。安仁屋一家はその2、3年後、再びポンポン蒸気船で故郷、沖縄・那覇の垣花(かきのはな)に戻った。

 だが、故郷は大きく変わっていた。戦争終結とともに、米軍が沖縄を占領すると、軍によって周辺は「那覇軍港」として整備が進んでいたのだ。

 72年の沖縄復帰に際し「那覇港湾施設」と改称されたが、現在まさに返還・移設問題で揺れている。

 それなりの補償金は出たであろうが、安仁屋一家は垣花からの移転を強いられた。移転先は「壺屋」で、沖縄都市モノレールの「牧志駅」から安仁屋が通った壺屋小学校が見える。沖縄のメーンストリート・国際通りに近い。

 安仁屋は4、5歳頃になると5歳上の五男宗太郎の後を追いかけるようになった。宗太郎は58年、那覇高が九州大会に出場した時の三塁手である。

 安仁屋は振り返る。「兄たちが原っぱで野球をやるんで付いて行ったんですね。野球と言っても、みんなで投げて打つだけだったが、ボクは外野で球拾いをしていた」。

 沖縄の人々は野球が大好きだ。終戦から約1年後の46年9月には早くも、「全沖縄中等野球大会」を開いている。

 沖縄の各地には爆撃や戦闘の傷跡が残っていた。がれきの中から使えそうな木材を見つけて削り、バットにした。グローブは小麦粉が入っていた袋から作ったりしたのだ。