【安仁屋宗八傳3】(後編)

 国際通り周辺が急速に拓けていったのは53、4年頃からだ。それまでは湿地帯で近くには小高い山があった。「当時、子どもたちの遊びと言えばドッジボールや戦争ごっこ、それにメンコやビー玉でした」

 山ではガジュマルの木に登り、また蔓を使ってターザンのマネをした。ヤンチャな方だったが、「いま思えば結構危ないことをしていた。でも、ボクは人を殴ったことはないし、逆に殴られたこともなかった。人に迷惑をかけた記憶はない」

 人に迷惑をかけない。これは中学、高校、社会人、プロ入りしてからも、そしていまだに変わらない安仁屋の美徳の1つである。

 プロ野球は巨人の大ファンである。当時の沖縄でも巨人の人気は高い。中学に進む頃にはある投手に憧れを持つようになった。藤田元司である。

 56年のオフ、慶大から日石を経て入団。翌57年に17勝で新人王、58年に29勝、59年に27勝を挙げて巨人のリーグ優勝に大きく貢献している。新聞・雑誌などに掲載された「きれいな投球フォーム」に憧れたのである。

 57年にはもう1人の「憧れ」、長嶋茂雄が立大から入団し、1年目の58年から大活躍している。

 安仁屋は小学校高学年から野球へ目覚めていくが、野球好きの環境とともに、契機となると、この2人を抜きに語れない。=敬称略=