「全国高校野球選手権・1回戦、日本文理9−5鳴門渦潮」(12日、甲子園球場)

 大けがを乗り越えて挑んだ甲子園。チームは序盤の7点ビハインドから粘り強く戦ったが、追い上げは届かなかった。三塁ベースコーチとして走者に的確な指示を送った鳴門渦潮(徳島)の背番号15、竹内虎太郎外野手(3年)は「目をけがしたとき、こんな舞台に立てるとは思わなかった。連れてきてくれたみんなに感謝したい」と震える声で話した。

 まだ1年生だった2015年12月20日、練習中のことだった。ティー打撃でボールをトスしていた竹内の右目に、至近距離から打球が直撃。激しい痛みを感じたあと気を失い、血だらけで救急搬送された。診断名は「眼球破裂」。手術を2度行ったが回復せず、右目は完全に失明した。

 竹内は2週間入院した。「野球を続けられるのか。普通に生活できるのか…」。病院のベットの上で不安を抱えていると、チームメートが色紙を持って病室に来てくれた。「焦らず治せよ」「また野球をやろう」。寄せ書きにはたくさんのメッセージがつづられていた。

 さらに森恭仁監督(50)と一緒に、思わぬ人物も見舞いに来てくれた。森監督が同校の前身・鳴門一で指揮を執っていたときの教え子で、プロ野球・楽天でプレーするOBの藤田一也(35)だ。

 初対面の竹内が握手を交わすと、「お、しっかり素振りしてるじゃないか」。手の感触から竹内の練習熱心さを察した藤田から、明るく声を掛けられたという。「そのとき、ずっと閉じたままだった息子の右目が開いたんです。藤田選手と会ってから、野球の話もするようになりました」。父・義仁さん(47)はそう振り返る。

 「家族全員で支えてあげる」という両親の言葉にも勇気をもらった。「くじけそうになったけど、みんなが声をかけてくれて、支えてくれた」。復帰へ意欲がわいてきた。

 退院から2カ月後の16年3月、竹内は練習に戻った。「ボールの見え方が全然違っていた」と、最初はキャッチボールで球を捕れず、打撃練習でもバットに当たらなかった。それでも「数をこなすしかない」と練習を重ねた。そして、8カ月後の2年秋に初めて練習試合に出場。冷静な判断力が買われて三塁ベースコーチに起用されると、高い得点力が持ち味のチームに欠かせない存在になった。

 「甲子園は最高の場所でした」と、竹内は涙を拭った。卒業後は大学に進学し、野球を続ける。将来の夢は「教師」だ。「先生になってもう一回、甲子園に戻ってきたい」。次の目標を力強く口にして、聖地をあとにした。