【内藤國雄・人生自在流2】(後編)

 「ぼん、兄貴さんがまだやってはるからもう一番やろう」と声をかけられ、4局目がスタート。

 今度は調子がよく会心の勝利を収めた。

 勝ったうれしさから1週間後にまた道場に行きたくなり、いつの間にか1人でも行くようになった。

 最初は13級だったのが半年の短期間でアマチュア初段。まさに「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」である。

 ただ、父親は将棋を嫌っていた。3人の兄たちが将棋を指していると、何もいわずに道具を取り上げて、子どもの手の届かないところへ置いた。勉強がおろそかになることを恐れたからだ。

 そのころ、将棋イコール賭け事のように思われていた時代。「親の死に目に会えない」とも言われた。自宅近くのタクシー運転手のたまり場には「花札、将棋、その他の博打禁止」の張り紙があった。

 村田英雄が歌った「王将」の歌詞は、明治から昭和初期にかけて活躍した将棋棋士・阪田三吉をモデルにして作られたものだ。

 阪田には3人の弟子がいて、そのうちの一番弟子が藤内金吾。従って内藤九段は「王将」阪田三吉の孫弟子にあたる。

 自転車を盗まれたことが藤内門下生となるきっかけになったとは、なんとも面白い巡り合わせではないか。その意味でも自転車泥棒が師匠との運命の引き合わせをしたことになる。=敬称略=