【内藤國雄・人生自在流4】(後編)

 この古本を、内藤少年は母からもらって、ためていた貯金をはたき迷いなく買い求めた。そして「その素晴らしさに驚嘆した」という。

 有名な数学者の岡潔氏は「江戸時代は、芭蕉と看寿を輩出しただけで十分」と語っているからその偉大さがうかがえる。

 看寿の作品に出合った内藤少年は、その感激を胸にしまっておけず、次兄にそのうちの一題を「自分が作ったものだ」と偽り、見せた。

 次兄はその時、20歳でアマチュアの兵庫県代表になっていたからそこそこの棋力の持ち主。それを見終えると目を丸くして「國雄は天才や」と叫んだ。

 もちろん、すぐ種明かしをしたが、その後、内藤少年は詰め将棋の創作に没頭するようになった。

 作品は稚拙なもの。それでも、投稿した専門誌のカバーに作品が掲載され、その横に内藤國雄氏作と記されている。

 「天に跳び上がるほどうれしくて、机の引き出しに入れては出すの繰り返し。お陰で肝心の表紙がくしゃくしゃになってしまったのを覚えている」

 棋士生活に別れを告げても、詰め将棋作家としては今なお健在だ。=敬称略=