【仰木彬外伝10】(前編)

 1988年当時、仰木と投手コーチだった権藤の“大人のぶつかり合い”は、ある種の緊張感をはらみながらクライマックスへと向かっていく。これは後年、オリックスをリーグ連覇、日本一に導いた投手コーチ・山田久志との関係にも通じる面がある。

 平均年齢20代前半と若かった近鉄投手陣にとって、権藤は頼れる兄貴分的な存在だったという。中日での現役時代「権藤、権藤、雨、権藤」とうたわれたほど、驚異的な働きを見せ、1961年と62年の2年間で約800イニングを投げ、65勝を挙げた。だが、結果的に登板過多から肩を壊し、実働5年で現役引退に追い込まれたことから、コーチになって以降は「投手の肩は消耗品」との認識で指導にあたった。

 一方の仰木は「勝ちにこだわる投手起用」を貫いた。この試合が重要と思い定めたら、相性のいい投手を中何日と間隔があいてもそこにぶつけた。もちろん、その逆もあった。投手の立場に立って物おじなく発言する権藤と、勝利優先主義に徹する仰木がぶつかったのは必然とも言えた。