【仰木彬外伝33】(前編)

 仰木が引き当てた野茂英雄は、1年目の1990年にタイトルを総ナメして以降、海を渡って“日本人メジャーリーガーのパイオニア”となるまで近鉄投手陣の屋台骨を支えた。

 のちに“トルネード投法”と名付けられる独特のフォームは、ダイナミックな半面、制球力に難があり、三振と四球が隣り合わせの“双刃(もろは)の剣”だった。外野からは「フォームを直さないとプロで通用しない」という声もあったが、仰木は「最初の1年は思い通りやらせてやろう」と野茂の個性を重視し、各コーチに「絶対触るな!!」と通知していた。

 前年の89年、19勝を挙げて近鉄のリーグ優勝に貢献した阿波野秀幸はこの年、オープン戦での「ボーク騒動」から投球フォームを乱し、10勝10敗とプロ入り最低の成績に甘んじた。ルーキー・野茂と完全に入れ替わる格好になったが、その阿波野が仰木と野茂の関係について、こう語っている。

 「いろんな声を仰木さんが盾になって野茂を守っていた感じですね。『ストライクを取れ!!』という監督だったらどうだったか…」