【五輪に愛され続けた男・野村忠宏4】(前編)

 ひとつ上の兄・忠寿が天理高校入学時、父・基次は実際には監督を退いていた。

 「息子が在籍する以上は監督を務めるべきではない」と、職務と子どもとの関係に一線を引くため副部長となる。基次のこうした一本の筋を通す哲学は、自身の柔道におけるキャリアが決して華やかなものではなかったからなのかもしれない。野村をスタンドで応援する基次を国内でも、オリンピックでも取材しているが、たとえ前人未到の五輪3連覇を果たしても、野村が基次を「オヤジ」と気軽に呼び、歩み寄る姿を見た覚えがない。反対に基次も、世界の頂点に努力で上り詰めた息子に柔道家として深い敬意を払っているようで、2人の関係性は引退までずっと変わらず、父と息子である以上に、師匠と教え子として常に一線を画しているように見えた。

 副部長の父を「野村先生」と呼んで常に敬語で話し、65キロ級で西日本選手権2位になるほどの力を持った兄を「野村先輩」と呼ぶ一風変わった高校生活がスタートした。上級生にはもちろん「お前のオヤジがあんまりにも厳しいせいで…」と言われることはあった。しかし、決してイジメのような形にならなかったのは、兄がいつでも「防波堤」になっていたからだと後で知ったという。子どもの頃は歯を折るほどの殴り合いのケンカをしたが、天理高校に入ってからは、違った。