【五輪に愛され続けた男・野村忠宏6】(後編)

 3歳から15年もかけてようやく叶えた初めての全国大会の記憶は甘いものではなかった。長く忍耐したのだからそこから花が咲いてもいいようなものだが、今度は対戦相手に惨めに敗れる、そんな試練に遭う。しかし、同級生に追われ、逃げ続けた惨めなこの敗戦と悔しさは、遅咲きの柔道家が後に40歳まで現役を続けられるための、特別なメンタリティを植え付けたのではないか。

 「負けて強くなる」

 「弱さを強さに変える」

 負けを活かし強くなる精神力だ。40歳まで続けた輝かしいキャリアを取材し、決定的ともいえる敗戦を何度か目撃した。苦悩する姿は輝かしい勝利と同じくらい印象に残る。しかしその度に、「負けを活かして」五輪3連覇に到達したかに見えた。

 相手を震えあがらせるような切れ味の背負い、つかんだらどんなことがあっても自分から切らない強い組み手、負けからはい上がる強じんな精神力。これらを組み合わせた、誰にも真似のできない「野村スタイル」の原型とは、天理高校で初めて果たした全国大会出場の手応えと、逃げ続けてしまった敗戦の喪失感、両方があって生まれたのかもしれない。

 インターハイ終了後、20歳以下の選手で行われる近畿大会予選に勝ち、全日本ジュニア出場を決める。決勝で敗れたが、準優勝でジュニア強化選手として注目される結果を手にした。しかし満足感は全くなかったという。

 「徳野だけには負けたくない」

 「コンプレックスを振り払わなければ、この階級で一生、2番手で終わる」

 自分を追い込んで牙を研くため、天理大に進学すると、祖父、父に続く新たな「道標」に出逢う。=敬称略=