【五輪に愛され続けた男・野村忠宏10】(前編)

 天理大での師匠・細川伸二に、練習での姿勢を変えるよう指導を受けて以降、野村忠宏は自分の改革に徹底して取り組んだ。成果は数カ月ですぐに現れる。

 大学2年の6月、1994年全日本学生体重別選手権(東京・武道館)に出場する。学生とはいえ、同じ大会で95キロ超級に出場した天理大の先輩・篠原信一、アトランタでは野村とともに金メダルを獲得した中村兼三(71キロ級、当時東海大)ら、次代の日本柔道界を背負う強者が優勝者に名を連ねる、いわば世界への登竜門といえる大会である。

 1年生では校内予選にも勝てず、2年になって初めて関西選手権で準優勝を果たし、この2位で全日本への出場権を獲得した野村にとって、後に、この武道館での優勝は転機になった。60キロ級決勝では、当時、すでに世界選手権で優勝を果たしていた明治大の園田隆二と対戦。同階級の五輪最有力候補相手に一本勝ちを収める鮮烈のデビューを飾ったからだ。しかし本人には、これが五輪につながるといった気持ちはなく、どちらかといえば「無欲の勝利」だったという。

 「自分でも優勝してしまった、という感覚でしたね。ただ振り返ると、2年後の金メダルまで続くステップに、もの凄く勢いを与えてくれた。ただあの時でさえ、アトランタは視野には入っていませんでした。もっと安定した力を出したい、そう思っていました」

 五輪の扉は目の前にあったが、まだそれが扉と気付いていなかったのだろう。翌年、またも五輪最有力候補との対戦が巡って来る。95年11月、アトランタ五輪の第一選考会となる講道館杯、野村はベスト4に進み、園田との準決勝を待っていた。