【五輪に愛され続けた男・野村忠宏11】(前編)

 講道館杯で園田隆二(当時明大)と準決勝を戦い、3位となった当時20歳の野村忠宏は五輪強化指定選手に加わった。最有力候補の園田、同じ年の徳野和彦らはいわば「A」グループでドイツ、フランス、ロシアと、五輪を想定できるようなメンバーのなかで腕試しをする。一方「B」に入った野村は、チェコ、ハンガリーと、少しランクは落ちる大会で国際経験を積ませるほうが主目的だ。

 「オリンピックの年に、ハンガリーやチェコに派遣されている時点でまず代表は圏外です。自分もシドニー狙いと考えていました。園田さん、徳野、もう1人天理大の原田先輩(堅一)らトップが3人派遣されているわけですからね。でも、五輪を意識しない、こんな気楽さがよかったのかもしれませんね」

 「野村スタイル」の大黒柱、背負い投げの極意と同時に、こんな脱力感もチャンスをつかむ秘訣なのかもしれない。

 ハンガリーでは準優勝だったが、チェコでは優勝を果たす。一方、ドイツ、フランス、ロシアのトップ大会に出場した園田、徳野、原田がそろって敗れてしまった。全柔連(全日本柔道連盟)強化本部内は、国際大会で外国選手を抑えて優勝した野村の活躍にざわついていた。

 自身は「消去法」と笑うが、それでも「国際大会で勝負強さを発揮する」といった、その後も続く頑丈な看板は、この際に付けられたといってもいい。

 最終選考会は4月の全日本体重別選手権。しかし五輪より強く意識していたのは、同じ年のライバルのほうだ。天理高校3年、初めての全国大会、インターハイで自信を粉々にされた相手、徳野との対戦である。