【五輪に愛され続けた男・野村忠宏13】(後編)

 どのくらいリラックスしていたかといえば、「コカ・コーラ博物館」に行き、ばっちり記念写真を撮影していたほどだ。もう2度と来られる場所ではない。だから「記念の思い出作りに」と考えた。しかし軽量級のコーチとして帯同していた細川伸二は「お前の金メダルが一番計算できるんや。だから思い通りの展開でなくても、最後まで諦めずに戦うように」と、金メダルを予言しながら気持ちを盛り立ててくれた。

 大会7日目の最終日、大学4年は「最後まで諦めない」とだけ心に誓って畳に上がった。五輪の洗礼は3回戦(2試合目)に待ち受けていた。95年の世界選手権優勝のロシアのオジェギンは、明らかに優位と見られ、開始からたて続けに背負い投げ、警戒するよう言われていた肩車と3つの「有効」でリードされてしまった。時間はみるみる経過する。残り20秒で「待て」が入り、疲れていたオジェギンに「指導」が与えられた。

 残り15秒、右の釣り手一本でオジェギンを背中に担ぎ、その瞬間、左手で道着の尻の部分をがっちりつかんで、まるで畳で前転するように自らの頭を下げて一回転した。11秒、技ありの大逆転で勝ち上がると、決勝まで3試合を全て一本勝ちで金メダルを獲得した。諦めない、それを貫徹した結果だった。

 後に野村は「本当に成長する瞬間は、生きるか死ぬか、そういう勝負の中にあった」と話している。

=敬称略=