【五輪に愛され続けた男・野村忠宏16】(後編)

 アトランタ五輪の最終選考会では当時No.1候補だった園田隆二を下して優勝はしたが、実力は未知数だった。しかし、全日本体重別決勝で江種を下した時に感じた自信は特別なものだったと、自著「戦う理由」でこう表現している。

 「自分の実力で勝ち取ったと胸を張れる代表の座だった。誰にも文句を言われない形で勝ち取ったという自負があって、確実に自分はオリンピックで金が獲れるという絶対的な自信を持っていた」

 若さと勢いでつかみ取った4年前の金メダルから、25歳で迎える五輪は、五輪ディフェンディングチャンピオンのプレッシャーの中、メンタルを鍛え、その技は一層多彩に充実し、肉体も磨き上げられていた。

 そうした中、実はこれが最後だ、との気持ちも湧き始めていたという。

 「よく引き際の美学、と言いますよね。自分は、最強、頂点で、誰もがまだ強いのに、と思う状況でさっと辞めるのが最も美しい引き際だと思っていたんです」

 湧き上がる自信、動きが速く体力が必要なため勝ち続けるのが困難とされる軽量級での初の五輪連覇、頭をかすめていたのは金メダルを獲って引退する自身の姿だった。

 2000年9月16日、シドニー・コンベンションセンターで始まった柔道競技は、アトランタとは一変していた。今度は、競技が軽量級から始まるため野村はトップバッターに。もちろん、女子48キロ級、金メダルに三度チャレンジする田村亮子と2人で先陣を切った。=敬称略=