【五輪に愛され続けた男・野村忠宏19】(前編)

 3歳から厳しい鍛錬を積んだ柔道家として初めて経験する充電期間が、勝負師としての野村忠宏のスイッチを入れる、そんな不思議な現象を引き起こした。アスリートとしての才能のほか「勝負症」とでも呼ぶべき勝利への渇望は、この後、不可能を可能に変えて行った。

 当初は2001年秋から1年の予定だったサンフランシスコでの暮らしは前倒しとなり、02年6月に帰国。ミキハウスで開かれた会見で、「アテネで3連覇を目指すと覚悟を決めました」と言い切った。ほかの誰でもない。「自分が」決めたのだから、どんなに苦しくてもやり抜く。子どもの頃から変わらない信念だったが、27歳にとって挑戦は予想以上に困難だった。

 帰国後の11月、講道館杯で復帰すると、準決勝で一本負けを喫し、順位決定でも一本負け。五輪連覇を果たした強者が、一大会で2度も一本負けをするなど周囲は考えもしなかった。ケガ(右ひじじん帯損傷)も起きる。年が明けた2月、シドニー以来となる国際大会、ポーランド国際に遠征しても準決勝で一本負けし、3位決定戦は反則負け。3連覇を宣言してから早くも4試合で敗れ、しかも3つは一本を取られた。この年、大阪で行われる世界選手権を前に、復帰した27歳への評価は下がる一方である。