【五輪に愛され続けた男・野村忠宏22】(後編)

 「五輪に限りませんが、試合の前に眠れた試しがない」と笑う。

 「結果が出なかったらどうやって支えてくれた人たちに詫びればいいんだろう、メディアへの言い訳は?そう考えていると全く眠りにつけなくなる。気が付けばもう試合の当日。アテネもそうでしたが、会場に入って腹をくくる。トイレの鏡で自分の顔をしばらくじっと見つめて問いかけるんです。お前は何のためにここまで苦しい稽古をして来たんだ?お前は強いか、戦えるかと。そうすると覚悟が決まる」

 もしトイレで、これから対戦する五輪王者が、凄(すさ)まじい形相でこんな儀式をしている様子を目撃してしまったら、それだけでもう尻込みしてしまうはずだ。

 アテネの初戦が始まった。準決勝ではモンゴルのツァガンバータルとの試合、大内刈りで一本勝ちを収め、しかもわずか23秒での決着。決勝の相手、グルジアのへルギアニは、トイレで野村に出くわしてしまったのか、それとも組んだ瞬間、あまりの力に圧倒されたのか、全く攻めて来なかった。指導が3回も与えられる相手の消極的な柔道に一本を奪えなかったが、試合終了のブザーの音が響き、五輪の柔道で初、アジアで初の五輪3連覇が達成された。畳に大の字になったレジェンドは、天井を見ながら「あぁ、終わった」そうつぶやいた。=敬称略=