【五輪に愛され続けた男・野村忠宏25】(前編)

 オリンピック史上わずか3人しか成し得ていない4連覇に挑もうと腹を決めた野村忠宏は、慎重に準備を進めて行った。北京五輪前年、全日本選抜体重別選手権で6度目の優勝を果たしてこの年に行われるブラジルでの世界選手権代表の座を手中に。五輪を占う大会への進出は、偉業への道を順調に、確実に歩んでいる証しでもあった。全日本体重別で左ひざを痛め、世界選手権の全日本合宿を一度辞退した。

 しかし上層部は、3連覇を果たした大ベテランでありレジェンドに特別調整は認めず、むしろ若手の手本になってほしいと要望。要望を受け入れ参加した合宿で、乱取り中「右ひざ前十字じん帯断裂」の大ケガを負った。柔道に限らず、選手生命の致命傷である。

 五輪に向かって究極の選択を迫られる。

 9月の世界選手権を辞退して手術をするとしても、術後、リハビリに3カ月は要し、さらに柔道で戦えるようになるには半年は計算しなければならない。翌年4月の体重別だけが選考対象ではなく、五輪イヤーの幕開けと同時に1、2月、欧州で行われる国際大会の結果も加味される。1月に試合をするには時間が圧倒的に足りない。

 若手の追い上げや、海外の選手に完膚なきまで投げられたわけでもない。むしろその方が諦めはついたかもしれない。野村は悩んでいた。