【五輪に愛され続けた男・野村忠宏25】(後編)

 「手術するのか、それとも手術はせずに北京を狙うのか、いくつかの病院で診察を受けて医者の意見を聞きに歩きました。時間がないので手術はせず、世界選手権を辞退し、ひざを鍛える方法を選択しましたが、じん帯は切れたままですからどんなにテープで固定しても動きによってはひざがずれて抜けそうになる。もう1回やったら現役は終わるだろう、と怖かったですね」

 練習で動けても、練習後には苦痛に耐えなくてはならない。テープで鎧(よろい)を着せたひざには関節液がたまる。水を注射器で抜いて、そこに潤滑役となる薬を入れなければ、硬直し動かなくなる。ドーピングを考えれば、痛み止めの薬も簡単には使えない。

 当時、JISS(国立スポーツ科学センター、東京・北区)で黙々とトレーニングを積む姿を取材し、すでに金メダルを3つも手にしている柔道家だと忘れそうな感覚に襲われた。すでに十分過ぎる名誉も地位も手に入れたはずが、なぜ全てを投げ打ってこれほど苦しい挑戦をしているのだろう。五輪4連覇のためなのか、それとも自身に挑んでいるのか、分からなくなったからだ。

 08年2月、強豪がそろうドイツ国際で10カ月ものブランクを感じさせない柔道を見せ準優勝する。自身は手応えを感じ、柔道界にも「やはり野村は国際試合に強い」「ひざは痛めても技術でカバーできる」といった高評価が復活した。最終選考会となる体重別選手権に間に合った。しかし過去3度の最終選考会とは、違った。

=敬称略=