【阪急を支えた左腕・梶本隆夫1】(中編)

 母親の心配を振り払うように、梶本は素晴らしいスタートを切った。なんと開幕投手に指名されたのだ。高卒の新人投手が大舞台の主役に抜てきされるのは、きわめて珍しいこと。

 当時の西村正夫監督は「どの投手より彼の球が一番速かったから使った」と、先発起用に踏み切った理由を語っている。今のスピードガンで測れば、軽く150キロは超えていただろう。

 開幕試合の相手は高橋ユニオンズ。6回3失点で、七回から同じ多治見工の先輩・柴田英治投手の救援を仰いだものの、5−3での逃げ切りで、初の勝利投手となった。西村采配が見事的中したわけだ。

 その勢いでオールスターまでに12勝をマーク、ファン投票の投手部門で1位に選ばれた。このシーズン、55試合に登板、20勝をマークする素晴らしい成績だった。

 また、この年の7月10日、対近鉄戦(和歌山県営)で、日本プロ野球史上初となる「1イニング3者連続3球奪三振」の離れ業を演じている。スタンドの阪急ファンにすれば、さぞかし爽快な気分だったろう。

 それでも新人王のタイトルは取れなかった。梶本を上回る26勝の宅和本司(南海)がいたからだ。ルーキーで20勝しながら新人王になれなかったのは梶本しかいない。

 投手にとっては打線がどこまで援護してくれるか。それで勝敗が決まると言っていいだろう。その意味では阪急の梶本より南海の宅和の方がはるかに恵まれていた。

 しかし、そのことを聞かれても梶本は「相手は自分より、はるかにいい成績だったので仕方ないです」とさわやかに答えた。

 もちろん私生活でも温厚な性格。右のエースとして活躍したチームメートの米田哲也は、こう語る。

 「どんなに無理なことでも気安く引き受けて実行してくれる。だからナインはアニキ(梶本)のためならどんな苦労もいとわないと思っている」

 また、南海時代に何度も対戦した野村克也は「ピッチャーらしくない、仏のような性格だ」との感想を述べた。変な駆け引きを一切せず、常に真っ向勝負を挑むピッチングスタイルを指しての発言なのだろう。