【阪急を支えた左腕・梶本隆夫4】(後編)

 18歳の若者にして、この物分かりのよさ。隆夫は家のために働くのは当然のことと考えていた。

 ところが、家の仕事を継がなかった。その野球センスのよさにプロ入りを勧めるスカウトが次々と現れたからだ。大学野球からも誘いがあった。

 当時、阪急のスカウトは丸尾千年次。熱心な説得に家族は阪急入りを勧めた。契約金50万円、月給2万円。当時、大卒の事務系の初任給が1万円だったことを考えると安くはない額だ。

 当時、銀行振り込み制度はなく、契約金は自宅まで現金で運ばれた。まだ、1万円札のない時代。レンガのような札束だった。野球がお金に替わる。少年時の頃、そんなことは思いもしないことだった。

 この年、最も高い契約金の提示を受けたのは四国の名門、松山商業のエース空谷泰。中日との契約金は当時としては破格の200万円だった。その後、プロでの活躍は、はるかに梶本に軍配が上がる。丸尾スカウトの眼力は確かだった、ということになる。

 紺に白い縦じまの入ったユニホーム。それを見てうれしさより不安が先に立つのはルーキーとして仕方ないことだろう。「とにかく、できるところまでやってみよう」。隆夫は開き直った。(敬称略)