【阪急を支えた左腕・梶本隆夫7】(前編)

 プロ球界には「2年目のジンクス」という言葉がある。1年目にいい成績をあげると、天狗になって、はめを外し遊び回り、次の年は、不成績に終わるという戒めの言葉だ。

 幸い梶本隆夫には、そのジンクスは通用しなかった。

 「私は田舎もんですから、大して遊び方も知りません。都会育ちの子とは違います。おかげで、横道に、それるようなことはなかったです」

 もとより真面目な性格。オフシーズンとはいえ、遊び回るようなタイプではない。2年目のジンクスは梶本には無縁だった。

 その証拠に2年目も18勝をマークしている。

 先輩からの悪い誘いがなかったのも、幸いした。若いエースを大事にしようという気持ちが働いたのかもしれない。

 2年目のジンクスを乗り越えると、3年目は、なんと28勝、4年目は24勝をマーク。5年目16勝、6年目11勝、7年目21勝と投手陣の大黒柱として活躍した。

 左の梶本、右の米田哲也。左右のエースがチームの屋台骨を支えた。「ヨネ・カジコンビ」といわれたのも、このころだ。