【阪急を支えた左腕・梶本隆夫8】(前編)

 新球パームボールを覚えた梶本隆夫は、次にフォークボールのマスターに取り組んだ。そんな積極的な姿勢にナインが「熱心な奴だなあ」と目を細めたのは当然のことだろう。

 ただ、梶本にしてみれば、厳しいプロの世界を生き抜いていくためには当然の行動であった。根が真面目。目標を掲げたら、それにまっしぐらである。

 気になる後輩2人が入団してきたのは昭和31(1956)年のこと。その1人は鳥取県の米子からやってきた米田哲也だ。

 後に「ガソリンタンク」との異名をつけられ、右のエースとして大活躍。ヨネ・カジ時代をたくましく生きた男だ。

 もう一人は実の弟の靖郎である。当時、発行されたプロ野球選手名鑑にはこう書かれていた。

 「兄に劣らない速球を持っているがフォームが未完成のため、まだ大成していない。しかし、将来を楽しめる逸材である」