【阪急を支えた左腕・梶本隆夫11】(前編)

 弟の梶本靖郎が多治見高校から兄のいる阪急に入団したのは昭和31(1956)年のこと。翌年、1軍初登板を果たすが、勝利はつかめなかった。179センチ、65キロと兄より一回り小柄だった。

 初勝利は入団4年目の昭和35(1960)年。7月18日近鉄戦(日生)で、兄隆夫との兄弟リレーでつかんだ白星だ。

 「この日をどれだけ待ったか。本当にうれしいです」

 この試合、靖郎は打者としても活躍した。八回、バント安打で出塁すると、続く本屋敷錦吾の左中間二塁打でホームへ走り、猛烈なスライディング。投手でありながら、打撃、走塁にファイトをみせた。

 ただ、この後、不運が靖郎を待ち構えていた。八回、代打・斎田忠利のライナーを左足に受けたのだ。

 マウンドへいち早く駆けつけたのは兄の隆夫。「痛いなんて言うなよ。痛いって言って痛くなくなるか?ならないだろう。だったら言うな」

 靖郎は足を引きずりながらベンチへ引き揚げようとした。その背中に隆夫は「あとは俺に任せろ」と声をかけた。

 場内にアナウンスが流れた。「投手梶本弟に代わりまして、梶本兄」

 めったにお目にかかれない兄弟リレーのお披露目にスタンドは大いに沸いた。