【阪急を支えた左腕・梶本隆夫12】(後編)

 ただ、阪急・西本監督1年目、投手陣の両輪、ヨネ・カジは不振のシーズンを送るはめとなった。

 米田哲也は開幕から連敗続き。初白星をものにするのに6月1日までかかった。

 一方、梶本隆夫は球宴まで3勝11敗の不成績。デビューして10年、球威に衰えが見え始めたのだろう。このシーズン、結局9勝17敗の不成績で終わっている。

 梶本にとっては初の1桁勝利。考えられない成績だった。

 当時、パ・リーグのチームは「2強、3弱、1番外地」と呼ばれていた。2強が西鉄と南海、3弱が東映、近鉄、大毎、1番外地が阪急だ。

 チームにとっては、何ともつらい言葉だ。業を煮やした西本監督は5月12日の東映戦である策を採った。3番にバッティングのいい梶本を入れる先発オーダーを組んだ。打線のテコ入れだ。

 「投手に3番を打たれて、打者たちは恥ずかしくないのか」

 西本監督一流の意思表示でもあった。もちろん、打者たちにとっては面目丸つぶれである。

 さらに梶本に一塁を守らせ3番打者として起用したこともある。阪急入団の際には投手よりも、むしろ打撃を買われていたのだから、驚くことはないのかもしれない。(敬称略)