1959年から始まった帰国事業。日本に住んでいた在日朝鮮人を北朝鮮に移住させるというものだが、1984年までに約9万3000人の在日朝鮮人が北朝鮮に帰国した。

その中には、金正恩党委員長の実母である故高ヨンヒ氏も含まれている。

すべては帰国運動からはじまった)

日本とのつながりがあるとの理由で、成分(身分)が悪いとされ、地方で暮らしている人も少なくないが、日本からの仕送りなどでそれなりの暮らしをしている人もいる。そのため、家族の誰かが脱北して韓国や第三国に住む脱北者家族、在北朝鮮華僑と並んで、何かに付けて保衛部(秘密警察)にいびられ、カネをむしり取られる。

暴力を振るった上で「違法行為を見逃してやる」「刑を軽くしてやる」「釈放してやる」などなど、様々なエサをぶら下げて、財産を奪おうとするのだ。

東海岸の咸興(ハムン)市の東興山(トンフンサン)区域に住んでいる50代男性のチンさんもそんな被害にあった一人だ。

日本から帰国した祖父母を持つチンさんは、10年前から自家用車を所有している。北朝鮮の民法では認められている個人の乗用車の所有だが、事実上は困難だ。そのため、国営企業や機関の名義を借り、保安署を含めた各方面にワイロを支払ってようやく認められる。それなりの経済的余裕やコネがなければできないことだ。車の所有から、チンさんはそれなりの暮らしをしていることがうかがえる。

現地のデイリーNK内部情報筋は、昨年6月にチンさんの身に降りかかった出来事の経緯を次のように説明した。

チンさんが、用事で家族とともに車に乗り北へ向かっていたときのことだった。咸興から北東に100キロのところにある北青(プクチョン)を走行中に、保衛部の哨所(検問所)で車を止められた。「家族全員が北に向かっているのは怪しい」として、保衛部に連行され、取り調べを受けることになった。

取り調べと言っても、保衛部の思い込みに基づいた「北に向かっていたのは、中国との国境にある両江道(リャンガンド)から脱北しようとしていた」というストーリーを認めろと脅迫するものだった。

チンさんは強く否認した。また、脱北の意思を示す物的証拠も見つからなかった。しかし、保衛部は車の関連書類や運行日誌を調べ上げ、保安署(警察署)に5月の定期検査を受けたことを証明する印鑑がないと騒ぎ立て、自己批判書を書かせ、調書に署名させようとした。

これに怒ったチンさんは、「車の運転に必要な保安署の法的規定を破ったことについては罪を甘んじて受ける」としつつ、管轄事項が異なるとして、保安署で罰を受けると主張した。

保衛部は「法に楯突くのか」などと悪態をついたが、チンさんには一向に動じる気配がない。それで保衛部が提示したのが「このままでは釈放できない、帰りたいならドル3枚を出せ」というものだった。ドル3枚とは300ドル(約3万2600円)を意味する。

身柄の拘束を解かれたチンさん家族は、郡内の旅館に滞在しつつ、親戚らからカネをかき集めようと東奔西走せざるを得なかった。

北青郡保衛部は、上部から上半期の外貨稼ぎのノルマを課せられていて、6月の期日を前にしていかに外貨を確保するか苦心していたところに、チンさん一家という格好のネタが飛び込んできたというわけだ。