労農赤衛隊とは、1959年1月に創設された北朝鮮初の民兵組織だ。隊員は平時、工場や農場で働きつつ、民間防衛の業務を担う。有事の際には、正規軍の朝鮮人民軍(北朝鮮軍)と共に地域防御、正規軍への弾薬などの輸送などを行う。2010年10月10日の朝鮮労働党創建65周年の軍事パレード以降は「労農赤衛軍」と呼ばれるようになった。

最近、その動員体制と戦闘能力に対する検閲(監査)が行われた。民間防衛の武力の政治的、軍事的威力を強化することが目的だが、その結果が散々なものに終わり、関係者を当惑させている。

デイリーNK内部情報筋によると、平安南道(ピョンアンナムド)の平原(ピョンウォン)、粛川(スクチョン)、文徳(ムンドク)、价川(ケチョン)など、「十二三千里平野」と呼ばれる穀倉地帯で行われた労農赤衛隊の非常招集検閲の出席率が5割に満たないという結果に終わった。

欠席者のほとんどは「病気だ」などと言い訳を並び立て、非常招集に応じなかったという。

無条件で参加しなければならないはずの非常招集に、大量の欠席者が出た理由について、情報筋は、政府の政策に対する不満の現れだと見ている。

今年5月、首都・平壌で行われた、朝鮮人民革命軍創建90周年記念の軍事パレードで、新型コロナウイルスが広がったと見られている。その後の非常防疫体制を経て、先月、金正恩総書記は「対コロナ勝利宣言」を行ったが、妹の金与正(キム・ヨジョン)朝鮮労働党副部長は、韓国在住の脱北者が飛ばしたビラにウイルスが付着していたなどと、荒唐無稽な「コロナ韓国起源説」を主張した。

だが、これが「たわごとだ」として国民に受け入れられなかったため、非常招集を行い、戦争の危機を煽ることで不満を抑え込もうとしたようだ。しかし、すべてが国民に見透かされていたようで、低調な出席率、言い換えるとサボタージュとして現れたというわけだ。

一方、穀倉地帯のこの地域ですら、昨今の深刻な食糧不足を免れず、食べ物が底をつく絶糧世帯が続出、農場への出勤率も低調となっている。

不満の表示以前に、栄養失調で、訓練に参加する体力がないとの見方も可能だろう。

コロナ前の北朝鮮は、市場経済の進展と、密輸の活発化で、食糧事情が改善。完全な安定供給には至らなくとも、「量よりも質」を問う人が増えるなど、1990年代後半の大飢饉「苦難の行軍」以降で最も暮らし向きが安定した状況となっていた。

また、道・市・郡の境界線を超える移動を厳しく制限していたが、そのたがが緩み、各地を行き来しつつ、商売をする人も増えていた。

それがコロナ禍で一変。コロナ鎖国で深刻な物資、食糧の不足に陥り、餓死する人が続出。経済活動も制限、反動的思想文化排撃法、青年教養保障法の制定で、文化的な締め付けも強化されている。

苦しいときほど締め付けを強化するのが北朝鮮のやり方だが、それが様々な形で、抵抗に遭っているのだろう。