2020年初頭から感染拡大した新型コロナウイルスはいまだ収束を見せず、鉄道業界は厳しい状況にある。それはJR西日本も例外ではない。

 4月11日、JR西日本は2017年から19年までの3年間における17路線30区間の収支、営業係数を初めて公表した。

 公表対象になった17路線30区間は、2019年度に輸送密度が1日2000人未満の路線。言い換えれば、コロナ禍以前から利用者数が少なく、経営的に負担となっていた路線ということでもある。

 営業係数とは一般的に聞きなれない語句だが、これは100円の収入を得るために必要な費用を示す数字的指標をいう。数値が100を下回れば黒字、100を越えれば赤字ということになる。

 今回、JR西日本は各路線の営業係数を公表しただけではなく、路線の区間ごとの営業係数も算出。本来、営業係数は路線ごとに算出される。なぜなら、鉄道路線は長くなればなるほど人口の少ない地域を通らざるをえなくなるからだ。

 例えば、JR西日本管内の山陰本線は、京都府京都市の京都駅から山口県下関市の幡生駅までと長門市駅から分岐して仙崎駅へと至る支線がある。これらの合計は約676.0キロメートルにもおよぶ。

 これだけ長大な路線ならば、部分的に人口の少ない区間もある。人口が少ない区間は、当然ながら利用者は少ない。そこだけを抜き出せば、営業係数は高い数値が算出される。だからといって、その区間だけを廃止できない。だから、そうした数値にはあまり意味がない。

 今回のように区間ごとの営業係数を算出するのは珍しいことだっただけに、今回の発表は鉄道業界関係者や沿線自治体関係者を驚愕させることになった。

 今回、JR西日本が公表した営業係数を見てみると、もっとも赤字とされたのは芸備線の備後落合駅―東城駅間で、営業係数は2万5416。つまり、備後落合駅―東城駅間では100円を稼ぐのに2万5416円の経費が投じられている。

 こうした赤字路線でも即座に廃止されないのは、黒字路線の利益に支えられているからだ。JR西日本の稼ぎ頭は、新大阪駅―博多駅間を結ぶ山陽新幹線や北陸新幹線の上越妙高駅以西の区間、大阪圏の在来線となる。1972年に開業した山陽新幹線は、分割民営化直後からJR西日本の屋台骨を支える路線として活躍した。

「ディスカバー・ジャパン」キャンペーン

 しかし、JR西日本の屋台骨ともいえる山陽新幹線も、絶対的な存在ではない。山陽新幹線は新大阪駅から西へと走っているが、そこまではJR東海が受け持つ東海道新幹線が走っている。東京と大阪の両都市間の需要は高いが、新大阪駅以西の需要は低くなる。東京から西日本への移動は、新幹線だけではなく航空機という選択肢が加わる。特に、福岡空港は市街地から近いため、東京―福岡間の移動は長らく新幹線が不利といわれてきた。

 こうした事情もあり、大阪以西の需要を生み出すことは国鉄時代からの最重要課題だったそのため、国鉄は山陽新幹線開業前となる1970年頃から、その対策を練り始めていた。

 1970年、大阪で日本万国博覧会(大阪万博)が開催。全国から大阪へと人が押し寄せた。大阪万博の入場者総数は約6400万人。そのうち国鉄が輸送した来場者は2200万人に達した。

 万博により高い需要を生み出したが、閉幕後に需要が落ち込むことは容易に予想がつく。それを見越した国鉄は、万博閉幕後にプロモーションキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」を始める。

 それまでにも、国鉄は小規模なプロモーションを打っていた。ディスカバー・ジャパンが革新的として記録されるのは、長期間にわたって広告代理店と組んだことや大規模な予算を投じて戦略的に展開した点が挙げられる。

 ディスカバー・ジャパンによる需要喚起は、西日本への誘客を主眼に置いたものではない。国鉄を利用して日本全国へと足を運んでもらうことを意図している。

 その規模が大きいので全容は把握しづらいが、1970年開始の第1弾から1984年に開始された第3弾まで分けて実施された。特に、1978年から始まった第2弾では歌手・山口百恵さんが歌う“いい日旅立ち”がブームに火をつける。

“いい日旅立ち”人気は、その後も衰えず東海道新幹線や山陽新幹線の車内放送前後に流れる車内チャイムとして使用がつづけられている。

 ディカバー・ジャパンでは、“美しい日本と私”や“遠くへ行きたい”といったキャッチフレーズを多用。これらは主に観光客をターゲットにしたキャンペーンだが、同時期に国鉄はビジネスマンを対象にしたキャッチフレーズも多く生み出していく。

 ディスカバー・ジャパンと呼応するように、国鉄は“ひかりは西へ”のキャッチフレーズを用いたキャンペーンを1970年から展開。これは1972年に山陽新幹線が岡山駅まで暫定開業することを見越したもので、1975年に山陽新幹線が博多駅まで全通すると“東京―福岡が日帰り可能に”と大々的に宣伝した。

 当時の新幹線で東京駅―博多駅間を移動すると、その所要時間は約7時間。単純計算で往復14時間になる。物理的には可能でも、現実的に新幹線で日帰り往復する利用者はいないだろう。

 こんな無理筋なキャッチフレーズを用いた背景には、前述した航空機との争いがある。いくら高速で走る新幹線といえども、東京―福岡間では航空機に太刀打ちできない。日帰り可能をアピールしたことで不利な状況を少しでも挽回する意図が込められていた。

 国鉄が分割民営化してJR西日本が誕生した後も、需要の掘り起こしはつづいた。それはキャンペーンによるイメージ戦略だけではなかった。

 1990年、JR西日本は山陽新幹線高速化プロジェクトを発足。同プロジェクトによって、1997年に新幹線500系が走り始める。500系は戦闘機のような外観が特徴だが、なによりもスピードがウリで、500系の登場によって山陽新幹線区間は最高時速300キロメートルへと引き上げられた。これにより、新大阪駅―博多駅間は最短2時間17分で結ばれる。

JR西日本だけの問題ではない

 ここまでJR西日本は西への需要を掘り起こすことに躍起になっていたわけだが、私はかつてJR西日本の職員数人に山陽新幹線の需要掘り起こし策について聞いて回ったことがある。

 多くの職員はいろいろなアイデアを披歴してくれたが、最終的には「JR東海の協力がなければ成り立たない」という結論に帰結した。いくらJR西日本が魅力的な誘客キャンペーンを実施しても、「東海道新幹線が新大阪駅まで乗客をたくさん運んできてくれなければ、絵に描いた餅」というわけだ。

 国鉄時代も含めて、JR西日本は涙ぐましい取り組みを続ける。だが、事態はそうした思惑とは裏腹に進行している。バブル崩壊後、業務効率化やIT化が後押しして西日本にあった支店や営業所は次々に統廃合された。それら支店・営業所の統廃合により地域経済が落ち込んだことは言うまでもないが、くわえて出張族を当て込んだ宿泊業や飲食業にも影響が出ている。

 こうした現象は、山陽新幹線やJR西日本管内だけに限定されたものではない。全国各地で起きている。本来なら交通インフラが整備されたことで都市部から地方へと流れるはずだった人・モノ・カネが、大都市に吸い取られるように逆流する。これはストロー現象と呼ばれる。

 コロナ禍ではリモートワークが推奨され、地方都市でも仕事が可能になった。テレワークによる地方移住の促進といったトレンドも芽生えているが、地方都市の人口減少はそれ以上のスピードで進む。

 人口が減少すれば、必然的に鉄道利用者は減る。JR西日本が発表した17路線30区間だけではなく、今後は赤字路線・区間が拡大するだろう。そして、それは生命線ともいえる山陽新幹線にも重い負担となる。

 これは、JR西日本だけの問題に矮小化することはできない。いずれJR東日本や東海、そのほか東京・大阪を地盤にする大手私鉄も直面するだろう。実際、JR東日本も各線区の収支を公表する構えを見せている。

 コロナ禍は歳月とともに収束するが、人口減少は簡単に解決できる問題ではない。政府は旅行需要を喚起するべくGoToキャンペーンやワクワクイベントといったキャンペーンを打ち出す。それらは対症療法に過ぎず、危機に瀕する鉄道事業者を根本的には救えない。

 窮地に追い込まれる鉄道事業者と人口減少に立ち向かう長期的な視点が示せない政府。どう鉄道を維持していくのかの糸口がないままの模索が続く。

小川裕夫/フリーランスライター

デイリー新潮編集部