10月の消費者物価指数上昇率は3.6%となり、40年8ヶ月ぶりの伸びとなった。上昇した主な品目はエネルギー(15.2%)や食料品(5.9%)などだ。物価上昇の波は加速しながらその範囲も拡大している。

 調査対象に占める値上がり品目の比率は今年1月の6割から急上昇し、8割に迫っている(生鮮食品を除く522品目のうち78%の406品目)。モノの上昇率は前月から0.9ポイント高まり6.5%となった。

 7月まで17ヶ月連続でマイナスだったサービス価格の上昇率も0.8%となり、消費増税後の2015年3月以来の高水準となった。政府が講じているガソリン補助金などがなければ、10月のインフレ率は4%台半ばに達していた可能性が高かっただろう。

 インフレを引き起こしているのはエネルギー・食料 価格の高騰や円安だ。「コストプッシュ型インフレは長続きしない」との見方が一般的だが、物価上昇に見合った形で賃金が上がらなければ、家計の購買力が低下し、デフレ圧力が再び強まるとの懸念が生じている。

 今年10月と同じ物価上昇率を記録した40年前の日本は第2次石油危機後の景気後退局面(1980年3月〜1983年2月)にあったが、通年の経済成長率は3%台であり、インフレの悪影響を相殺できるだけの底力があった。

 一方、近年の日本経済は低成長を続けており、経済の自力を示す潜在成長率はゼロ台%だ。「足元のインフレ圧力はさらなる重荷になる」との悲観論が広まっているが、筆者は「日本経済復活のチャンスがついに訪れたのではないか」と前向きに捉えている。

 日本経済を苦しめてきたデフレ・マインドが急速になくなりつつあるからだ。

日本人の「値上げ嫌い」に変化

 日本は長年、物価が上がらない国だった。

 国際通貨基金(IMF)が毎年公表する192の加盟国のインフレ率ランキングで、日本は2000年から一貫して最下位近くで推移してきた。

 日本の消費者物価は約600品目から構成されているが、渡辺努・東京大学教授の調査によれば、つい最近までそのうち約4割の品目の上昇率がゼロ%だった。

 価格が「凍結」している理由は消費者のインフレ予想が低すぎることにあった。

 青木浩介・東京大学教授が昨年8月に実施した日本・米国・英国・カナダ・ドイツの消費者を対象にしたアンケート調査によれば、日本以外の4カ国では「物価がかなり上がる」とする回答が30〜40%に上ったのに対し、日本でそのように答えた人の割合は10%未満と大幅に少なかった。

 青木氏は今年5月の連休前にも同じアンケート調査を行ったが、日本の回答は大きく異なっていた。「物価がかなり上がる」とする回答が4割に達しており、日本の消費者のいわゆる「値上げ嫌い」は9ヶ月間で大きく変化していることが判明した。

 内閣府が約8400世帯を対象に毎月実施している「消費動向調査」でも、「先行き1年間のインフレ率の予想」が2020年秋から上昇し始め、実際のインフレ率を追い越す勢いで上昇していることが明らかになっている。

 インフレ率の予想が急ピッチで上昇しているのは、今回の値上げがガソリンなどのエネルギーと食品に集中していることが関係している。消費者庁によれば、日本の消費者が先々の物価を予想する際にエネルギーと食品の価格を特に重視する傾向にある。

 日本では「消費者は物価が上昇しないことを前提に賃金が上がらないことを我慢する一方、企業は賃金が上がらないことを前提に価格の据え置きを受け入れる」という構図が出来上がっていたが、消費者は「価格の上昇をやむなし」と受け止めるようになり、それに呼応する形で、企業は価格の転嫁を始めるようになっている。

「賃金凍結」状態を打破できるか

 ようやくデフレ脱却の一歩を踏み出したわけだが、消費者が価格上昇を容認したとしても、賃金が上がらなければこの傾向は長続きしない。

 だが、賃金上昇の道のりはいまだ不透明だと言わざるを得ない。

 政府の諸統計によれば、日本の労働者の名目賃金は1990年代前半までは右肩上がりだったが、その後は横ばい状態になっている。世界の先進国で構成される経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で、日本の名目賃金の伸び率(2000〜2021年)は加盟34カ国中の最下位だ。

「賃金凍結」の状態にあると言っても過言ではない日本だが、労働需給の逼迫が起きつつあるなどフォローの風が吹き始めている。アルバイトや非正規労働者の賃金の上昇が鮮明になっているものの、正規労働者にまでこの波が及んでいないのが実情だ。

 円安で企業収益が改善している企業を中心に「インフレ手当」を支給する動きが出ているが、小手先の感は否めない。

 本格的な賃上げの動きが起きていないのは、多くの企業が「人件費の増加分を価格に転嫁すればライバルに顧客を奪われる」と懸念しているからだろう。

 安倍政権下で、日本銀行の異次元緩和から生ずる収益を原資に企業に対して賃上げ要請が再三なされたが、肝心のデフレ・ マインドを払拭できず、失敗に終わってしまった。

 だが、長年の宿痾であったデフレ・マインドは雲散霧消しつつある。

「新しい資本主義」を掲げる岸田政権は、賃上げに伴う人件費の増加分を企業が価格に転嫁しやすい環境づくりの構築に努めることで、40年ぶりのインフレというピンチを日本経済復活のチャンスに変えるべきではないだろうか。

藤和彦
経済産業研究所コンサルティングフェロー。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)。

デイリー新潮編集部