「辛子明太子といえば福岡」というのは世間の常識だが、このところ、福岡県以外の場所に「辛子明太子のテーマパーク」が増えていることをご存じだろうか。コロナ禍の2年間だけでも2ヵ所がオープン。しかも、ひとつは海からも福岡からも遠い“群馬県”にある。いったい何が起こっているのか? 運営している会社に聞いてみた。【華川富士也/ライター】

新幹線開通で全国区になった明太子

 そのテーマパークを展開しているのは、人気辛子明太子ブランドの「かねふく」。同社は「めんたいパーク」の名称で、開業順に大洗(茨城県)、とこなめ(愛知県)、神戸三田(兵庫県)、伊豆(静岡県)、びわ湖(滋賀県)、群馬(群馬県)の6ヵ所を営業している。最初の大洗が開業したのは2009年。以降、3年ごとに1ヵ所ずつ増え、コロナ禍真っ只中の21、22年にびわ湖と群馬の2つがオープンした。

 いずれのめんたいパークも、辛子明太子工場の見学コースに明太子ギャラリー、直売店、フードコーナー、さらに子供が遊べるコーナーなどが併設されている。22年度の見込み来客数は6ヵ所合計で640万人と、工場見学としてはズバ抜けた人気を誇っている。

 ところで、多くの読者、なかでも昭和生まれの方はこう思うのではないだろうか。「辛子明太子は福岡名物なのに、なぜあちこちに明太子のパークがあるのか?」と。

 歴史を紐解くと、現在の辛子明太子のルーツとなるものは、明治末期の朝鮮半島で日本人の樋口伊都羽によって作られた。樋口は捨てられることが多かったスケトウダラの卵と、刻んだ唐辛子を一緒に塩漬けにする商品を開発。釜山を拠点に日本への輸出も行い、人気商品となっていく。戦後、樋口の明太子をベースに博多で独自の発展を遂げ、福岡の名物に。1975年、山陽新幹線が博多まで開通したことをきっかけに、全国へ知れ渡ったと言われる。

来場者の地元スーパーで売り上げ増加

 かねふくは1978年から福岡・博多の本社工場で辛子明太子の製造を始め、80年代後半に関東(茨城県)でも辛子明太子の製造を開始。2009年に最初の「めんたいパーク」を茨城県大洗町にオープンした。同社によれば、

「当時は、うなぎパイの春華堂さんのように、入場料無料・予約不要の工場見学がちょっとずつ増えていました。私たちも直接、工場を見てもらうことで辛子明太子をより多くの人に知ってもらいたいと思い、見学コースとギャラリー、売店を併設しました」

 近くに偕楽園や国営ひたち海浜公園のような有名観光地があることも手伝って、あっという間に年間来場者が100万人を超えた。すると思わぬ効果があったという。

「かねふくブランドの認知度が格段に上がったんです。最初はこちらの売店で直売することで、周囲のスーパーさんがいい印象を持たないのではと思っていました。ところが、実際にはパークに来場された方が家の近所でも明太子を買うようになって、スーパーでの売り上げが伸びる事例があったんです。おかげでスーパーさんとより深くお付き合いできるようになったり、新規で扱いたいと声をかけていただくことが増えました」

キッズコーナー拡充は、次世代への“先行投資”

 これ以降、工場に併設する形で「めんたいパーク」が次々と作られていった。作るほどに内容が充実していき、4ヵ所目の「伊豆」からはキッズコーナーが拡大。大きなすべり台やボルダリングまである。

「好奇心旺盛、元気なお子さんにボルダリングは大人気です。コロナ禍でお子さんを遊ばせる場所がない、遊園地はお金がかかる。それなら、うちのめんたいパークで遊んでもらえるようにしようと、安全で楽しいコーナーづくりに注力しました」

 無料で遊べるキッズコーナーを拡充したのは、一種の“先行投資”だという。

「会社内ではずっと言ってることなんですが、明太子をいつも食卓にあるものにしたいんです。試食してもらって小さい時から味に馴染んでもらい、20年後、さらには次の世代に繋いでくれると嬉しい。“あそこ楽しかったね”と、かねふくの名前を覚えてもらえればありがたいです」

 ところで本題、なぜ福岡県以外にめんたいパークを次々と作ったのか?

「博多発祥の会社ですし、辛子明太子が博多の名産品であるという部分は大切にしています。しかしその一方で、今や明太子はおにぎり、パスタ、お菓子など、全国的に食材として広く使われています。原料のスケトウダラはアメリカかロシア産がほとんどで、元々、博多では獲れません。美味しい明太子を安定的かつ早く届けるために工場を増やし、めんたいパークも作りました。めんたいパークの売店では、工場出来立ての美味しい明太子が買えます」

 辛子明太子は誕生して70年以上を経て、“博多の名産”から“国民食”へと成長していた。

華川富士也(かがわ・ふじや)
ライター、構成作家、フォトグラファー。1970年生まれ。昨年、長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。今年からフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町ネタ、昭和ネタなどを得意とする。過去にはシリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。

デイリー新潮編集部