弔辞代わりに暴露本という「十朱幸代」の「西城秀樹」野辺送り(1/2)

 恋多き女優が人生にただ一度、入籍を決意した男性は、今年亡くなった12歳下の元スーパーアイドルだった。口を噤んできた西城秀樹との関係を、弔辞の代わりに自叙伝で“暴露”すると、にわかに饒舌になった十朱幸代(75)。その胸の内は千々に乱れていた。

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「あれはもう、2年前に終わりましたよ」

 今年5月16日、63歳の若さで鬼籍に入った西城秀樹が、ラジオ番組に出演中にそう語ったのは、1992年12月。「あれ」とは、12歳年長の女優、十朱幸代との恋愛である。

 実際、この34歳と46歳の年の差カップルが芸能マスコミを賑わせたのは90年半ばまでで、その後、2人のツーショットが目撃されなくなると、騒動も鎮静化。2年後に秀樹の言葉で破局が確認されると、

「恋多き十朱に秀樹が遊ばれただけだったのでは」

 などと憶測が語られるだけで、真相が究明されることもないまま時は過ぎ、秀樹の死を迎えた。

 ところが、十朱はこの10月から急に、秀樹との別れの真相について語り出したのである。まず、『愛し続ける私』(集英社)という自伝のなかに、秀樹の名は伏せながらもこう書いた。

〈彼とは、婚約寸前まで行きました。私が結婚というものに一番近づいたのは、あのときだったように思います。そのころには仕事にも少し余裕が生まれていて、「今なら結婚という選択肢もあるのかもしれない」、と思ったのです。実は婚約発表会見を1週間後に準備する、というところまで、行きました。

 それでも、ふたりの周囲には、反対する方がたくさんいました。自分の親、兄弟、彼のご家族の反対を前にしたら、私はそこから先に進めなくなってしまい……。

 迷いを振り切っても結婚する、という覚悟が私にないと知って、彼は去って行ったのです〉

真相大放出

 加えて、10月9日放送のNHK「ごごナマ」で、こう語ったのである。

「“(結婚)したいな”と思ったことがあったんですよ。結婚式ギリギリ、発表の1週間くらい前まではそのつもりでいたんですけど。日取りは決まってなかったけど、発表(は決まっていた)? うん、うん」

「もう、すごい反対で。私の家族、母とか兄とか妹とかが反対で。で、あちらのご家族ともお目にかかったんですけど、感じのいい方たちだったんだけど、やっぱり、ものすごい反対なんです」

「で、ちょっと私が動揺してるから、“やっぱり結婚はダメなのかな”と、彼は。だんだん気持ちが……、うん。っていうようなくだりはありました、かつて」

 だが、それでもまだ言い足りないらしく、先月28日、くだんの自伝出版の記念トーク会でも、

「私は50歳手前だったのですが、やはり結婚すると(相手は)子供を持ちたいでしょうし、私自身の仕事の両立も可能かな、と思ったのですが、すごい周りの大きな反対で、そこを押し切ってまでの自信がなかった」

 と発言。破局から28年を経て突然、さながらバーゲンのように真相大放出となったのだ。

 十朱が恋多き女であったことはよく知られている。17歳のときから15年間、入籍はしなかったが、事実上の“夫婦生活”を送った小坂一也に始まって、噂になったのは浜畑賢吉、高倉健、三浦友和、寺尾聰、井上純一……と、ちょっとした芸能史ができそうなほど。そこに歯科医や青年実業家、雑誌編集者をはさんで、竹脇無我との不倫に突入した。

 そんな十朱の戦歴に、追いかける芸能マスコミが翻弄されたのは言うまでもない。そこに89年夏、新たに届けられたのが、秀樹との噂だったのである。

出会いの場となったドラマ

 当時、取材に当たった記者によれば、

「89年6月、秀樹が神戸で坂本龍馬が主人公のミュージカルに出演していたとき、十朱はわざわざ東京から何度か観劇に出かけ、最終日は秀樹と同じホテルに泊まって、朝、一緒にコーヒーを飲んでいた。それを機にマスコミが一気に2人を追いかけ出したんです」

 2人の出会いの場は当時から、その年の5月からNHKで放映された「夜の長い叫び」というドラマだったと報じられてきたが、十朱は自伝で、あらためてその瞬間に触れている。

〈その日の撮影では、私の演じる女は、何かから逃げるという設定でした。ハイヒールを履いて、石畳の坂道を駆け下ります。後ろからその私を追いかけてくるのが、彼です。リハーサルを何度か重ねて、さあ本番。本番となると気持ちも入り、夢中で逃げました。すると、坂道の途中で何かにつまずいてしまい、体が宙に浮きました。転びかけたのです。

「あ、このまま地べたに叩きつけられる!」

 恐怖にかられたその瞬間、彼は私の横に回り込み、倒れる私の下敷きになって、私を受け止めてくれました。

 危機一髪! すごい運動神経です。

 そして、なんて優しく、カッコイイ! こんなこと、他に誰ができます?

(中略)あの日から、私の頭のなかはキラキラキラキラ、心臓はドキドキドキドキして。この恋心がスタッフや他のひとにバレないように細心の注意をしながら、でも心の中では「どうぞこの仕事が長引き、終了が少しでも遅くなりますように」と願っていました〉

 そうして、付き合いが始まったのだという。

2人着物姿で電車に

 先の記者が、その後を語る。

「秀樹が十朱の家に泊まり込んでいたと報じた『フォーカス』に、秀樹は“真剣に愛しています”、十朱は“西城さんとはフィーリングが合うの”とコメントを寄せたほどで、堂々たる交際ぶりでした。89年秋にはハワイへの婚前旅行を計画しますが、事前に乗る飛行機や泊まるホテルがバレたうえ、ワイドショーのレポーターがハワイに先乗りする騒ぎになって断念。ただ、翌年3月にはアメリカ西海岸への逃避行に成功し、10日間ほど、水入らずの時間を過ごしています」

 このことにも、十朱は自伝で触れている。

〈マスコミからの逃避のために海外に出かけたこともありました。

 1回目は失敗です。(中略)その次にトライしたときには、なんとか成功しました。以降、行き先はロサンゼルスとか、ハワイとか。彼がスキューバダイビングやゴルフをするので、私も教えてもらい、一緒に楽しみました〉

 このときのエピソードを、秀樹の往年の友人は、

「ロスから飛行機で成田空港に帰ってきたとき、当然、マスコミが張っていますから、事務所は“2人別々に出てきたほうがいい”と指示したそうなんです。でも、秀樹は“そんなのいいよ”と言って、2人一緒に出てきたんです。彼は豪快でオープンな人間でしたね」

 そう語って、こんな逸話も付け足してくれる。

「90年1月、十朱さんは芸術座の正月公演に出演していて、ある日、大雪で車が出せなくなった。そうしたら十朱さんは、秀樹と電車で芸術座に向かったんです。事務所から“くれぐれも目立たないように”と言われていたのに、2人は着物で電車に乗ったので、大騒ぎになったそうです」

 秀樹の十朱評も。

「“これまで付き合った若い子とくらべて、大人の話ができるし、仕事の相談もできる。キャパシティが大きいから、一緒にいてラクなんだ”と、秀樹に聞かされたのを覚えています」

(2)へつづく

「週刊新潮」2018年11月15日号 掲載