2017年7月に亡くなった平尾昌晃氏(享年79)の遺産を巡り、後妻と息子の間で起こった骨肉の争い。元号が替わった今も、それは解決せず、「墓誌」にはいまだに平尾氏の名前が刻まれていないという。その理由とは――。

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 生前、平尾氏には3度の結婚歴があり、最初の妻との間に長男、2番目の妻との間に次男の亜希矢氏、三男の勇気氏をもうけた。“後妻”は事務所のマネージャーだった、3人目の妻にあたる。平尾氏の死後、60億円にのぼるとされる父親の遺産などが義理の母によって不当に管理されていると勇気氏は主張し、法的措置に打って出たのだ。

 平尾家代々の墓があるのは、東京・上野の谷中霊園。墓石の傍らに立つ石碑「墓誌」には親族の名が刻まれているが、そこに「平尾昌晃」の名はない。後妻によれば、平尾家は代々神道だが、昌晃氏は日蓮宗であるため墓誌に名前を刻まず、別にモニュメントを作りたいのだという。

 一方、現在平尾家の斎主を務める当の亜希矢氏に話を聞くと「お墓の件では彼女にずっと振り回されている」と、まるで異なる見解だ。

「父も僕ら兄弟も日蓮宗ですが、代々の墓誌に名前を刻むことは問題ないと考えています。それなのに、彼女は“昌晃には別にモニュメントを作りたい”と言い張って聞かない。僕らが頼み込んで、去年の命日に納骨だけは済ませましたが、その後も“墓誌に名前は入れないで”と念を押されました」

 亜希矢氏はこのほか、“モニュメント代”の支払いに関するトラブルや、平尾氏が亡くなった病院への治療費未払いもあると訴える。12月3日発売の週刊新潮で、莫大な遺産を巡る骨肉の争いについて詳報する。

「週刊新潮」2020年12月10日号 掲載