作曲・編曲家の服部克久さんが手がけた曲は約6万曲に及ぶ。(「週刊新潮」2020年6月25日号掲載の内容です)

「歌手が意気揚々と登場する。そんな勢いを感じさせる音楽を」と注文された、音楽番組『ザ・ベストテン』のオープニング曲は代表作のひとつだ。司会の黒柳徹子と久米宏が絶妙なタイミングで番組名を叫び、心地よく広がる華やかな曲が視聴者を番組に誘(いざな)った。

「ドキュメンタリー番組『新世界紀行』のテーマ曲も人気でした。インストゥルメンタルでも、歌詞のある曲と同じように心に響き、記憶にしっかり残りました」(音楽評論家で尚美学園大学副学長の富澤一誠さん)

 CM、映画の曲作りでも活躍。編曲の名手でもある。谷村新司の「昴」の編曲では雄大さを出そうとイントロにホルンを使った。竹内まりやの「駅」では弦楽器を効果的に用いた。ふたりの他にも、森山良子やさだまさしら多数の音楽家に恩人と慕われる。

「歌手や歌そのものの一番良い部分を編曲で引き出したいとお考えだった」(音楽評論家の反畑誠一さん)

 詞をうまく活かしながらメロディーを作る才能では、父親にはかなわないと感じていたようだ。父親とは作曲家の服部良一さん(1993年に他界)。「別れのブルース」、「東京ブギウギ」、「青い山脈」など3000曲以上を作曲して、没後、国民栄誉賞を受賞した。

 36年東京生まれ。成蹊中学・高等学校に進んだ。同級生で当時から親友である、弁護士の梶谷剛さんは言う。

「俳優になった山本學君と3人が大の仲良し。ピアノを習う服部君について行き、近くで待っていました。井の頭公園でボートに乗ったり釣りをしたりと遊んだものです。読書好きで貸本屋にもよく行きました。自分が自分がと主張せず、名を成してからも謙虚さは変わらなかった」

 高校を出るとパリ国立高等音楽院に進む。3年間学び優秀だった。58年に帰国。

「親の七光りとねたむ人もいた。おまけにフランス帰りです。でも克久さんはおおらかでした」(反畑さん)

 最初の仕事相手は、日本を代表する男声コーラスグループ、ダークダックスだった。メンバーの遠山一(はじめ)さんは振り返る。

「日本の民謡をフランス風に編曲してもらいました。良一さんに、息子がパリから帰ってきたらよろしく頼むと言われていたのですが、すっかり仲間になりました」

 同じくメンバーの喜早哲(きそうてつ)さんが2016年に亡くなった時、当欄の取材で克久さんは〈音楽の世界で生きる道筋をつけてくれました〉と原点を忘れずに感謝していた。

 テレビの草創期に映像の雰囲気に合う音楽を作る才能が重宝された。クラシックの素養もあり引き出しは多い。東京五輪では体操競技の入場曲などを担当した。

 80年には山口百恵の引退公演の音楽監督を務める。

「克久さんの他には考えられなかった。こう歌いたいという気持ちを汲み取り、スケールの大きな舞台を作ってくれました。自然に感情を引き出し、物語が生まれていったのです」(音楽プロデューサーの酒井政利さん)

 芸術家の意識はなく、音楽の職人とよく語った。最新の音楽動向に通じていた。

「世界中で違和感なく受け入れられるポップス作りが目標でした」(反畑さん)

 62年に結婚。仲人は父親と親しい白洲次郎さん夫妻。1男1女を授かる。

 長男の隆之さんも作曲・編曲家の道を歩む。「王様のレストラン」、「半沢直樹」、「真田丸」などテレビドラマや映画音楽などで高く評価されている。孫の百音(もね)さんは世界的な注目を集めるバイオリニストだ。

 今年2月頃、体調を大きく崩す。6月11日、末期腎不全のため、83歳で逝去。

 80年代初めから「音楽畑」と題しアルバムの発表を続けた。昨年発売した22作目には、長男と孫と3人で共演した曲が収められている。