コロナ禍での新しい取り組みも披露された「海老蔵歌舞伎」。他方、その座長の愛娘が舞台に立ったことで、さざ波が起きている。女人禁制のイメージの強いこの世界。いまは気にならないほどの変化でも、いずれ梨園を巻き込んだ大きなうねりとなりそうで……。

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「初春 海老蔵歌舞伎」

 自らの名を冠した公演は17日に千秋楽を迎えた。市川海老蔵(43)が東京で長期公演を打ったのは1年ぶりのことである。

「千秋楽を生で有料配信したことが話題でした」

 と、演芸担当記者。

「新型コロナ対策のため、新橋演舞場の客席は半数の約700席しかありませんでした。そこで歌舞伎界初の試みとして、17日の千秋楽をHuluストアで生配信したのです。視聴チケットの金額は2等席よりも安い3500円でした」

 新型コロナウイルスの影響で昨年の「十三代目市川團十郎白猿襲名披露公演」は延期。長男の勸玄(かんげん)くん(7)の市川新之助襲名も延び延びとなっていて、先を見通せぬのはパパにとってツライ状況に違いない。その中にあって、今回の生配信は歌舞伎界に新風を吹き込もうとする試みだった。

 さらに公演で注目されたのは、四代目市川ぼたんを襲名した長女の麗禾(れいか)ちゃん(9)が公演の一つ「藤娘」で藤の精を務めたことだった。

「20分程度の小品で、藤の精が恋の歌に合わせて踊ります。歌舞伎の中でも大変人気のある演目です。海老蔵さんは自身のYouTubeで“(娘の)踊りの技術は申し分ない”と絶賛した上で、“9歳で藤娘を踊るのは史上初じゃないかな”と語っていました」(同)

 親バカぶりが微笑ましいが、女性が舞台に上がることを禁じている歌舞伎の世界であっても、女の子が出演することはままあること。実際、麗禾ちゃんは海老蔵の舞台に幾度も上がってきた。

「ただ、今回は以前と違うと思いますよ」

 と、歌舞伎を長年見つめ続けてきた日本舞踊家が語る。

「例えば、『鏡獅子』という演目では胡蝶に子どもが扮して踊ります。これは小さい子どもがやらなくてはならないので、女の子が踊ることも珍しくはありません。ただ、今回の『藤娘』は短いとはいえ、ひとりで一舞台を持つということになります。この演目は昭和初期に六代目尾上菊五郎が演出を一新し、それが現在にまで引き継がれています。つまり、男性の歌舞伎役者が演じてきた大役を9歳の女の子が演じるわけです」

 少なくとも戦後、松竹の歌舞伎で「藤娘」を女性が演じたことはなく、そういう点でも異例だと言える。そこに、海老蔵自身の思い入れがあるのではないかと解説するのは芸能リポーターの石川敏男氏。

「海老蔵さんには“歌舞伎も男と女で差別しなくていいんだ”という思いが根底にあります。娘が四代目市川ぼたんを襲名したのは8歳の時です。ただ、海老蔵さんの妹の場合、三代目市川ぼたんの襲名は27歳の時でした。我が子を早く襲名させたのは勸玄くんを含む2人の子どもと早く芝居をしたいという思いがあったからです。新橋演舞場で出演させたのは、いずれ娘を歌舞伎座に立たせようと、外堀を埋めているのでしょう」

 歌舞伎役者にとって歌舞伎座は想像以上に特別な場所なのだという。『歌舞伎に女優がいた時代』の著者で作家・比較文学者の小谷野敦氏は、

「昭和の歌舞伎界を代表する役者で名女形と言われた六代目中村歌右衛門は歌舞伎界の天皇として君臨している間、同じく女形で年下の五代目坂東玉三郎が台頭してくることに危機感を抱いて、歌舞伎座に立たせないように圧力をかけていました。それほど歌舞伎座というのは歌舞伎界の政治力の影響が及ぶ場所なのです」

 そもそもなぜ歌舞伎の舞台に女性は立てず、男性が「女形」として演じるのか。それを理解するには歌舞伎の歴史を繙(ひもと)く必要がある。

市川家の過去

歌舞伎は1603年に出雲の阿国(おくに)が創始したと言われている。

 歌舞伎評論家によれば、

「阿国の『傾(かぶ)き踊り』が評判になると、遊女が踊る『女歌舞伎』が流行します。ところが、興行後に売春が横行するとして、徳川幕府は1629年に女歌舞伎を禁止としたのです」

 すると、今度は成年前の美少年による「若衆歌舞伎」が登場するも、やはり男色が風紀を乱すとして1652年に禁じられた。そして、

「成年男性が演じる『野郎歌舞伎』が登場し、女性を男性が演じる女形が確立されるのです」(同)

 海老蔵自身は千秋楽だった今月17日、生配信を行う理由としてブログにこう書き込んでいる。

〈様々な困難があり、

乗り越え新しいものを産む、

それが歌舞伎〉

 歌舞伎はその長い歴史の中で変化してきた。「型破り」という言葉も梨園の世界でよく使われる。伝統芸能であっても、胡坐をかいていては生き残っていけぬというわけだ。

 その思いは先代から引き継がれている。市川家は過去にも女性を舞台に上げる取り組みを行っていたのだ。

「明治時代に市川九女八(くめはち)という女性が端役で歌舞伎座の舞台を踏んでいます。女役者として活躍した九女八はもともと市川家の人間ではなく、九代目團十郎に認められ、その門下となって市川を名乗るようになりました」(小谷野氏)

 また、九代目團十郎の子は2人の娘だけだった。小谷野氏が続ける。

「明治26年には12歳の長女と2歳下の次女を歌舞伎座の『鏡獅子』に出演させています。九代目は明治36年に64歳で没しますが、その後も長女と次女は役者として活動、その次女の娘は三代目市川翠扇として、昭和4年に『戻り駕』で歌舞伎座の初舞台を踏みました。市川家にとって女性が歌舞伎に出ることはそれほど珍しくないのです」

 2006年には三代目市川ぼたんが歌舞伎座で「紅葉狩」の野菊という役を務めている。また、市川家以外であっても近年、歌舞伎座に女性が立つ例はあった。例えば、二代目松本白鸚の娘で女優の松たか子(43)は1993年、16歳の時に歌舞伎座の「文七元結」に出演している。

 かたや、そうした機会に恵まれなかったのが、七代目尾上菊五郎と富司純子の長女、寺島しのぶ(48)である。寺島はかつて松たか子の兄、七代目市川染五郎(現・十代目松本幸四郎)と交際し、結婚まで秒読み段階だったことはよく知られる。が、2003年には突然、染五郎が一般人との婚約を発表。寺島は立ち直れないほどのショックを受けたと言われた。

恩讐の彼方で…

 そんな因縁もある両家だが、前出の石川氏は、

「寺島さんは歌舞伎役者になりたいという思いが強かった。それでも歌舞伎の舞台に上がれなかったのは、父の七代目菊五郎さんが歌舞伎の伝統を重視していたからでしょう。一方の白鸚さんは1960年代に一時期、松竹から女優も出演できた商業路線の東宝歌舞伎に移っていた。いわば松竹へは出戻りなんです。それゆえ伝統に固執せず、二十歳前の娘を歌舞伎座に出してもいいと考えたのでしょう」

 寺島は子供のころ、弟が6歳で歌舞伎の舞台に立ち、なぜ自分は立てないのか、と大層悔しがったという。松の出演にも羨望の眼差しを向けていたことだろう。そうした彼女の歌舞伎への憧れを掬(すく)い、2017年に「六本木歌舞伎・座頭市」への出演を依頼したのが他ならぬ幼馴染の海老蔵。当時の会見で寺島は「もう感謝です」と感慨ひとしおだった。

 梨園の恩讐の彼方で共演した二人。海老蔵は自身の娘が成長しても、かように歌舞伎の舞台に立たせたいと思っているのだろうか。

 前出の日本舞踊家が、

「宝塚歌劇に男性が混じるようなものです」

 と反発すれば、四代目坂田藤十郎の妻で元参院議長の扇千景氏も、

「歌舞伎は幼い女性が上がることはありますが、男性だけがやるものと決まっています」

 とピシャリ。先の歌舞伎評論家も、

「仮に海老蔵さんがこのまま娘を出演させていくと、別の役者も娘を出演させたいとなるのは当然のこと。その時松竹はどう考えるのか。また、落語家の桂米朝はかつて“女性落語家に落語を教えるのは難しい”と語っています。男性の表現などを女性向けに手直しするのは我々が考える以上に難しい」

 さらに別の問題もあると、こう語る。

「海老蔵さんは梨園の他のグループと交流を持たず、自身より格上の役者のいない自分の一座だけで動いているように感じられます。事実、昨年夏に歌舞伎座での公演が再開されてから、彼は歌舞伎座に一度も出ていません。“海老蔵だけ特別扱いされ、我がままが許されている”とやっかむ声も梨園から漏れ伝わってきます。昨年来、歌舞伎座での出演や出演者のギャラの底上げ問題で海老蔵さんと松竹は衝突を繰り返していて、その影響があるのかもしれませんが……」(同)

 さて、松竹の迫本(さこもと)淳一社長はどう考えているのか。自宅で訊くと、

「歌舞伎は多様に発展してきたのだから、いろいろな形があっていいと思っていますよ。きちんと伝統は受け継ぎつつ、チャレンジする。それでいいじゃない」

 女性の出演についてそう理解を示し、海老蔵が歌舞伎座に出ないことも、

「たまたまそうなっているだけですよ。演劇担当と話し合って本人とお客様にとって一番いい形をとっています」(同)

「週刊新潮」2021年1月28日号 掲載