平成ノブシコブシ・徳井健太がお笑いについて熱く分析する連載「逆転満塁バラエティ」。

 第11回目は「霜降り明星」について。

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「恐怖の後輩」

 すごいな、敵わないなと思う先輩は何人もいるが、後輩にはあまりそれを感じたことがない。

「やるなぁ」という後輩は数人思い浮かぶが、敵わない、降参するしかないとまではなかなか思わない。

 僕が自分に異常な自信を持っているわけでは決してなくて、自分が想像できる範疇ならば、尊敬はしても恐怖までは感じない、といったところだろうか。

 前フリが長くなりました。そんなこんなで今回語りつくしたいのは、霜降り明星。

 こいつらは、ヤバい。恐怖の後輩だ。

「第7世代」ではない?

 とはいっても、以前この連載で書いた「コウテイ」同様、霜降り明星(以下「霜降り」)ともあまり接点はない。劇場で会えば挨拶くらい、テレビ局で会えば会釈を交わすくらい。

 彼らはいま若者に人気の20代を代表する芸人、いわゆる「第7世代」。そんな印象をお持ちの方が多いだろうが、僕は違うと思っている。

 偶然、若い世代にもウケただけで、本来は特に30代40代を笑わせることができる、稀有な若手だ。

 背が高く独特のツッコミでおなじみの粗品と、小柄でぽっちゃりとした可愛らしい見た目のボケのせいや。

 皆さんもご存知の通り2017年には若手芸人の登竜門「ABCお笑いグランプリ」で優勝、翌年には「M-1グランプリ」も制覇。一躍時の人となった。

10代で「玄人好みの大会」で優勝したスゴさ

 ただ、粗品は昔から有名だった。何年も前から「西にヤバい若手がいる」と仲間うちで噂が流れるほどだった。

「ABCお笑いグランプリ」よりもさらに玄人好みの芸人が躍進する「オールザッツ漫才」。

 僕らも過去に出たことがあるが、良い意味でも悪い意味でも、芸人が芸人を笑わせる純度の高いお笑い番組だ。深夜の悪ノリをそのまま等身大でお茶の間へ投影するマッドTV。

 そんな番組で、2012年、弱冠19歳のピン芸人が優勝する。

 粗品だった。

 これがどれほどすごいことか。

 正直、僕はのちに霜降りが獲った「最年少でのM-1優勝」よりもすごいことだと思っている。何しろスタジオに多少のお客さんはいたとしても、本当に笑わせなければならないのはその場にいる30代40代の目の肥えた芸人たちだからだ。

 もう尖りはなくなってきた頃とはいえ、若手時代の発想や足掻きは大抵経験してきている。若手のネタやギャグを見てもほとんどが、「はぁ、なるほど、そういう感じね」といったことしか思わない。

 一番厄介な客だ。

格段に面白いネタに“オジサン芸人”たちは…

 冒頭でも触れたが、人間、想像できることに恐怖は感じないものだ。

 けれどそのレーダーに、19歳、しかもパジャマ姿の粗品と呼ばれる少年が引っかかった。

 それはフリップネタだった。

 フリがあって、ボケがあって、テンポがある大喜利で、しかも一人で勝負するのがフリップネタ。

 このタイプのネタも、大方想像はできるものだが、粗品のネタは、その想像を軽く上回った。

 誰にでも伝わるであろう分かりやすい笑いどころと、分かる人にしか分からないセンスのある一言。

 それを時には丁寧に時にはがさつに、ごった煮がごとく織り交ぜる。テンポも変調、変拍子なんでもござれ。

 まさに新食感だった。

 若さや勢いからくる妙な自信を差し引いても、格段に面白かった。

 見ていた“オジサン芸人”たちは最初に抱いた嫉妬や恐怖も忘れ、笑った。

周囲はネガティブに捉えた「コンビ結成」

 オールザッツで優勝すると売れる。そんな伝説もある。芸人が面白いと思う芸人が、売れないわけがない。しかも笑いの本場・大阪。実際、オールザッツを見ている芸人やスタッフ、お笑いファンは数多く存在し、笑い飯、友近、ジャルジャルなど過去の優勝者も実力者ばかりだ。

 そんな番組での19歳のまさに超新星の誕生に、みんなが「ここから売れていくぞ!」と思った直後、粗品は大阪の知り合いを連れてきて漫才をやると言い出した。

 それがせいやだった。

 周りは「粗品一人の方がいい」「オールザッツも優勝したばかりじゃないか、まだまだこっからだ」と粗品がコンビになるのを止めたと聞く。一見ポップなせいやは、お客さんにはウケても芸人仲間やスタッフに刺さる感じではない、と。

 そんな周りの意見を無視し、粗品は自分の直感を信じ、2013年にせいやと「霜降り明星」を結成した。

 そして周知の通り、後に堂々と「M-1グランプリ」を一本釣りする。漫画みたいな話だ。

「せいやの本気」

 僕がせいやの本気を知ったのは、2017年のこれまた「オールザッツ漫才」だった。

 2018年にM-1グランプリで優勝する前年、あそこでせいやは芸人やスタッフたちに認められたんだと思う。

 出てきた途端、なにやら訳の分からないことを、ひとりでやり続けるせいや。理由とか意味とか、そんなのは分からない。とにかく意味不明なギャグのようなことを全身全霊で叫び続ける。

 隣には粗品。誰もが認める若きお笑いモンスターは、柄にもなくひっそりと隣に突っ立っているだけ。

 ギャグと音ネタを混ぜたような理解できないネタを5分以上続けるせいやに、会場も「おいおい大丈夫か? ここは若手の漫才劇場じゃないんだぜ? オールザッツだぜ?」と静かにざわつく。

 だが徐々に客席も見ている芸人たちも巻き込み、大きな笑いを作り出していく。これはもう恐怖。自分には想像のできないお笑い。

 圧巻だった。

無駄で理解不能な「粗品の非常識」

 粗品が業界に好かれた後、霜降りの二人はお笑いファンにも好かれ、結果二人共が業界と世間に好かれていった。

 そのまままっすぐ王道を歩んでいってもきっと成功はしただろうが、そこは第7世代。二人はYouTubeという新しい媒体でもしっかり成果を上げた。

「しもふりチューブ」という公式チャンネルのなかで、僕は特に二人がギャンブルをやる回が好きだ。

 勝ったか負けたかなんていうのはどうでもいい。

 ここで見せる、無駄で理解不能で世間とはかけ離れた、特に粗品の非常識が、僕は大好きなのだ。

 恥ずかしげもなく言わせてもらえば、あの粗品の感覚は、僕に似ているとも思う。

 ある時、3日間で700万円の大負けをした粗品。もうこうなったらキリよく、トータル777万負けよう! そう思ってミッドナイト競輪で勝負をしたが、運悪く320万超当たってしまい、そのひと勝負でプラスとなった250万ほどを全額寄付した。

 皆さん、どう思います?

 英訳してもらって、世界の意見も聞いてみたいところだ。

 僕はというと、「なるほどー」と思った。

 実際に自分にはこんなことはできないけれど、でも、マインドというか、あり得るだろうなそういうことも、と。そんな既視感を粗品には覚えた。

ギャンブル依存症? やりてぇからやりてぇんだ

 これは僕の経験からだが、人間というものは、ギャンブルで負けが続くとおかしくなる。例えばパチスロの閉店間際、負けが込んだせいか、メダルサンドへ千円札を投入し続けている人を見たことはないだろうか? 

 昔、大負けした僕は、命の次に大事なはずの1万円札を、グチャグチャに丸めてパチンコ屋のホールに捨てようとさえ思ったことがある。

 パチンコ屋の椅子と我がお尻は焼けて焦げ付き、閉店の23時を迎えるまで、絶対に離れない。この時の欲求は「今自分の財布の中に入っている札を全て吐き出してしまいたい」の一択なのだ。

 ギャンブル依存症?

 何か名前をつけるのだとしたら、確かにそうなのかもしれない。やれ依存症だ、やれ承認欲求だと人はなんでも理由と名前をつけたがる。 
 
 うるせぇ、やりてぇからやりてぇんだ。

 これで充分だ。バカげているかもしれないけれど、少なくとも僕自身はそうだ。他人から何も言われたくないし、助けを求めているわけでもない。それがたとえ最低な理屈だと言われたとしても。特に芸人が世間と同じ感性でどうする、とも思っている。

 いけいけ、粗品! そうだそうだ!

 そう、僕はいつだって応援してしまう。

「折り紙を折れない」は「障害」なのか?

 霜降りの冠番組である「霜降りバラエティー」で、せいやが折り紙を折る回がある。

 正確には、同期のコンビ「コロコロチキチキペッパーズ」のナダルとせいやが、自分の得意なことで勝負をするという企画だ。そこでナダルは、折り紙対決をせいやに申し込んだ。

 ナダルとせいやの折り紙対決って、それ本当に面白くなるのか? 一抹の不安が頭をよぎるが、せいやはなぜか折り紙を上手く折ることができない。

 は? どういうこと? そんなことあるの?

 結果として、せいやは最後まで上手に折り紙を折ることができない。

 幼稚園児でも折れる単純な紙飛行機が、折れないのだ。

 ものを綺麗に畳んだり、折ったりすることがどうしてもできないらしい。結局、何分もかかってようやくせいやが折り上げたのは、グチャグチャの紙飛行機だった。

 その後、二人は折り上げた紙飛行機の飛距離で勝負をするのだが、当然せいやの紙の塊はすぐに落下。ナダルの勝利となる。

 折り紙をきれいに折れないこと――例えばそれは「発達障害」なのだろうか。近年よく耳にする。

 いや違う、それは「障害」なんかではない。個性だ。僕はずっと前から強く思っている。  

 テレビで言うと誤解を受ける可能性があるからあまり言わないけれど、そういう「個性」は本来すごく素敵なことだ。

欠けている部分を笑いにできる仕事

 欧米では生まれつきの障害がある人のことを、神からギフトを貰って生まれてきた人と呼ぶ。

 なんてグレイトな表現なのだろう。

 何かができないから何かに特化する。特に芸術家なんてみんなそうだ。ジョン・レノンもピカソもマイケル・ジャクソンも「普通」じゃない。

 普通じゃないからこそ、一方で超特化した才能を持っている。世間とはかけ離れた「芸術」を披露することができる。

 せいやで言えば、折り紙は綺麗に折れないけれど、カメラアイを持っているという。

 見たものを瞬間的に写真のように映像として記憶できるのだ。そんなせいやのモノマネは抜群に上手いし、ドラマや映画のワンシーンを忠実に再現する話芸は聞いていて飽きない。

 羨ましい。

 僕も色の違いが分からなかったり、右と左の区別がつかなかったり、bとdの判断がつかなかったりする。大したことではないと自分では思っているのに、なかなか人には理解されない。そんなわけない、と。

 だが芸人の世界では、それをいじってくれる。差別なく、偏見なく、容赦なく、笑いにしてくれる。

 だから僕は自分でそのことをマイナスだと思わなくなった。

 この「欠け」によってどんなギフトがあるのかは今のところ気付けていないが、生き辛いとも思わないし、ネガティブな感情になったこともない。

時代をひっくり返す才能の片鱗

 それで「霜降りバラエティー」だ。折り紙が折れないせいやを「なんでだよ」とか「そんなわけないやろ」と、ただ一瞬の笑いのために切り捨てず、しかも、その姿をひたすら放送した。深夜番組とはいえ、なかなかできることではない。
 
 僕は、そんな粗品とスタッフに、分厚い愛情と彼らなりの主義主張を感じたし、何より、いまのテレビを、時代をひっくり返す才能の片鱗を見た。

 世間の思う、腫れ物。いじりづらい部分を容赦なく見せて、笑いに変える。

 それはスキャットマン・ジョンを聴いた時のような爽快感に似ている。吃音で上手く喋れない、でもそれがなんだ。吃音を逆手にとって、誰にも真似できない音楽を作り出したスキャットマン。

 笑われて何が恥ずかしい。これが才能というものだろう。

 視聴者にはそこまで深い意味とは捉えられなかったかもしれないが、世の中に見せつけているようで、僕の心と目にはひどく痛快に映った。

霜降りに“品”がある理由は

 そんな霜降り明星には品が感じられる。それはなぜだろう。

 自分のためにお笑いをやっているというよりは、誰かを笑わせたい、誰かのためにお笑いをやっているんだ、と思わせられるからかもしれない。

 大概の若手芸人は自己顕示欲が強く、他人を押しのけてまで前に出る。それが霜降りからは感じられない。

 元来、品を持っているんだと思う。

 これは僕の主観だけれど、家族から愛を受けて育ってきたからだと推測する。

 愛を受けてきた人は、他人に愛を返すことができる。逆に愛を知らない人は、相手に愛を与えることが難しい。

 知らないことを教えることは困難だからだ。

 二人の家族についてのエピソードをテレビやラジオでいくつか聞いた。粗品は自分の父親の闘病生活と亡くなった時のことを、おもしろおかしいエピソードトークに仕上げていた。

 せいやは団地で家族5人が細々と暮らしていた過去を赤裸々に喋っていた。

 二人とも、そこには家族への愛があった。きっと家族から愛を受けてきたんだろう。自分が愛されていることを当然のように知りながら生きてきたんだろう。

 だから番組のロケで、せいやが大阪の家族にマイホームを買ったのには全く驚かなかった。

 愛を受け取ったら愛を打ち返す。ラブテニス2021。

謝罪も自粛もしなかった「霜降り」流の答え

 そんな霜降りの現段階での集大成は、ラジオだと思う。

 いろいろやらかしたせいやが、報道直後のオールナイトニッポンで、謝罪ではなく、あのオールザッツで披露した全身全霊雄叫び芸をオープニングからし続けた。

 しかもそこには、当時せいやの隣に立つだけだった粗品ではなく、突っ込みマシーン完全体と化した粗品がいた。

 令和を生きる霜降り明星の答えがそこにあった。

 謝罪も自粛もいらない。

 面白ければそれでいい。

 どんなマイナスだってプラスにひっくり返せるし、好感度なんて株よりも読みようがない。怖くても、自分たちが好きなことを、信じることを貫きたい。

 少なくとも僕にとっては、これ以上に信頼できる概念は他にない。

日本の未来を照らす二人

 自分たちが正しいと思うことをやり通せる人が多くなくなった時代に、霜降り明星は堂々とやってのけた。

 きっとこれから二人は、日本の未来を照らす存在になる。第7世代なんて一時的なブームでは決して終わらない。

 第1世代から第6世代まで巻き込んで、いずれやってくる第8世代までも、きっと。

 一か八か。

 正にギャンブル好きな霜降り明星のためにあるような言葉だ。

 粗品とせいや、もっとやれ。

 蹴散らしてやれ。

徳井健太(とくい・けんた)
1980年北海道出身。2000年、東京NSCの同期生だった吉村崇とお笑いコンビ「平成ノブシコブシ」結成。「ピカルの定理」などバラエティ番組を中心に活躍。バラエティを観るのも大好きで、最近では、お笑い番組や芸人を愛情たっぷりに「分析」することでも注目を集めている。趣味は麻雀、競艇など。有料携帯サイト「ライブよしもと」でコラム「ブラックホールロックンロール」を10年以上連載している。「もっと世間で評価や称賛を受けるべき人や物」を紹介すべく、YouTubeチャンネル「徳井の考察」も開設している。https://www.youtube.com/channel/UC-9P1uMojDoe1QM49wmSGmw

2021年2月6日 掲載