“第4の治療法”

 現在、うつ病で医療機関にかかっている患者は全国で100万人以上とされる。そうした状況にあって、実際の治療現場でも、新たな動きが出ている。おもに中等症以上の患者に行われてきた「磁気」による治療が、昨年6月から保険診療で受けられるようになったのだ。

 うつ病の治療はこれまで、抗うつ剤による薬物療法、そして認知行動療法などの精神療法が主体であった。それでも2〜3割の患者には効果がみられず、重症患者には「電気痙攣療法」も施されてきた。

 そこで“第4の治療法”として注目されているのが「経頭蓋(けいとうがい)磁気刺激(TMS)療法」。米国では2008年に認可された治療法であり、磁気を生成する装置を頭部に当て、コイルに電流を流す。頭皮から深さ2センチの部分に渦電流が生じ、認知機能を司る「前頭前野」にある神経が刺激されることで、健康な人の活動バランスに戻る効果が期待できるというのだ。

 03年からTMS療法の研究を続けてきた、国立精神・神経医療研究センター病院の鬼頭伸輔・第一精神診療部長兼臨床心理部長が言う。

「昨年、保険診療となったのはTMS療法のうち『rTMS(反復経頭蓋磁気刺激)』というものです。現在国内では、一生のうちにうつ病に罹る割合は約7〜8%とも言われており、日本うつ病学会のガイドラインでは中等症以上の患者さんに対しては薬物療法を行う方針が定められていますが、薬の効果がない方が3分の1ほどいます。従来、こうした方への治療の選択肢は限られていました」

 鬼頭部長は、東京慈恵会医大病院・精神神経科にも所属し、実際にrTMS療法の専門外来を担当している。保険適用によって、薬効が見込めない患者に新たな道が開けたわけである。

 具体的な手順としては、左側の額の部分に10ヘルツ(1秒間に10回)の周期で4秒間の磁気による刺激を与え、26秒の間隔を空けて75回繰り返す。1回の治療の所要時間は約40分で、合計3千回の刺激を前頭前野に与える。標準的な治療では、この40分間の刺激を週に5日、3〜6週間続けるという。1回の技術料は1万2千円で、3割負担なら3600円で受けられる。

「保険収載の前から、臨床研究として、のべ200人ほどに磁気治療を行ってきました。うつ病は症状の重さを点数化して評価し、症状が殆どなくなるか、ほぼ正常に戻れば『寛解』、半分以上改善すれば『反応』と呼びます。研究段階だったため現在の治療法とは少し刺激条件が異なりますが、ほぼ同じ条件で実施したケースでは、日本人では約4割が寛解しました。また海外でのデータも3〜4割が寛解、5〜6割が反応という結果になっています」

ホルモンを分泌

 このrTMS療法を行うことで、“幸せホルモン”と呼ばれるセロトニンや興奮系ホルモンのノルアドレナリン、そして快楽ホルモンのドーパミンなどの神経伝達物質の分泌が増えるという。鬼頭部長が続けて、

「うつ病の症状が現れる時は、感情を司る大脳辺縁系の扁桃体(へんとうたい)や側頭葉内側といった部位がオーバーワークになっています。それらが慢性的に過活動となると、注意や作業記憶に関係する背外側(はいがいそく)前頭前野という部位の機能が弱まり、集中力が下がる。例えば、料理をするにしても気力がない、手順が分からないといった症状が現れます」

 そうした機能的な不均衡がうつ病の仕組みでもある。では、従来の治療法とのメカニズムの違いはというと、

「抗うつ剤の場合、まず脳の奥にある扁桃体の活動を正常化させ、次に外側にある背外側前頭前野の機能を上げるという“ボトムアップ式”で効きますが、rTMSの刺激は頭皮から2センチほどの深さしか刺激できない。抗うつ剤とは順序が逆で、まず表面に近い背外側前頭前野を刺激して機能を上げ、さらに過活動になっていた側頭葉内側の働きをコントロールするというように、“トップダウン式”の効き方をみせるのが特徴です」

副作用が少ない

 さらには、

「一般的には投薬と併用して行いますが、全身に作用する抗うつ剤とは違い、磁気刺激は頭部のみ。そのため副作用が少なく、また投薬で懸念される依存もありません。コイルを頭に当てて刺激するとパチパチという軽い刺激音がして、最初は4割ほどの方が何らかの痛みを訴えますが、皆さんすぐに慣れてしまう。治療中に本を読んだり居眠りしたりする患者さんもいるくらいです」

 現在では受診可能な医療機関も十数カ所に増えているという。肝心の治療効果についても、

「頭のもやもやが晴れてすっきりする、あるいは集中して物事を考えられるようになるといった実感を得るには、治療を始めてから大体2〜3週かかります。患者さんからは、これまでは家と病院との往復だったけれど、何年かぶりにデパートに行きたくなって帰りに寄ってみたとか、普段は治療が終わると会計をしてすぐ帰るところ、受付の事務員さんと世間話ができるようになったとか、そうした声が寄せられています」

 暮らしの中で小さな楽しみや喜びを見つけることが、コロナ禍の日々を生き抜くよすがとなるのは言うまでもない。

 東京慈恵会医大の近藤一博教授(ウイルス学)が言う。

「普段の生活習慣で疲労を防ぐことが何より大切です。それにはまず、疲労そのものと、疲労があることを脳に伝えるシグナルである疲労感とはまるで違うのだと知る必要があります。栄養ドリンク剤を飲み、抗酸化作用のあるニンニクやうなぎを摂取して疲労感だけ吹き飛ばしても意味はありません。どちらも肝臓などの炎症性サイトカインの分泌を少なくし、一時的に疲労感を抑えているだけです。当然のことですが、バランスの良い食事と適度な運動、十分な睡眠に尽きる。体からのシグナルをちゃんと受け止め、休むべき時に休むことです」

 それが疲労、ひいてはうつ病を防ぐ最良の手立てだというのだ。

「週刊新潮」2020年10月1日号 掲載